失ったものもあるけれど夢も持てた

「震災当日、祖父が地元の病院に入院していたんです。でも病院も被災して、十分な医療を提供できない状態になり、祖父を含めて何人かが仙台の東北大学病院に自衛隊のヘリで移送されました。その後も、通院治療できないような状況が続いて。

それを見ていて、大災害や疫病の流行などが起きた時、適切な医療を受けられない環境にある人を地域と連携してどうにか受け入れてもらえるような形を作れないかと、高校生ぐらいからずっと考えていました。

いま私の働いている病院は災害医療などに特化した研修も行っているので、それもきっかけとなり勤めさせていただいています」と小野寺さん。20代前半とは思えないほど、しっかりとした目的意識だ。

「震災がなければ、まったく違う人生だったでしょう。被災した人はたいてい『震災前』『震災後』と区切って話します。津波で失ったものやつらかったことはたくさんある。でもその中で人に支えられ、看護師になる夢を持つこともできた。二度と起きてほしくないことですが、すべてがマイナスだったわけではないと思っています」