自分の経験を伝える意味がある
鈴木さんは小学2年生から野球をやっていて、6年生の時はエースだった。だがチームの仲間は14人のうち9人が亡くなり、大事なグローブも流されてしまった。このまま野球を続けるべきか迷ったが、「みんなの分までがんばろう」と、中学では硬式野球のチームに入った。そして野球が縁で茨城県の高校に進学。そこで初めて大川小のことを自分から語れるようになった。
「高校では寮に入り、甲子園を目指して毎日練習に明け暮れました。全国から生徒が来ていて、震災のことをほとんど知らない人もけっこういる。だから自分が震災の経験を伝える意味がある、そこから何かを学んでもらえればと思ったら、いつの間にか大川小のことも自然と口に出せるようになっていたんです」
卒業後は仙台大学に進学、そこでも野球に打ち込んだ。地元・宮城県の大学を選んだのには理由がある。
「大川小のみんながいる一番近いところで、自分が野球をやっている姿を見てもらいたかった。これまでいろいろな人に支えてもらいました。特に、中学入学時に寄付していただいたグローブのことは忘れられません。つらい時も野球があったから前を向けた。高校でもレギュラーは取れなかったけど、くさらず諦めなかったのは、いつもみんなと野球をしているような気持ちがあったからです」
今年大学を卒業する鈴木さん。コロナ禍で就職活動も難航中だが、地域で少しでも人の役に立てる仕事に就けたらと考えている。