支えられてきたから人を助ける仕事に

自宅は1階部分がすべて流され、大規模半壊の状態。4日間避難所で生活した後、被災を免れた親戚の家に移った。インフラは1ヵ月以上復旧せず、昼間は何度も川の上流まで行って水を汲み、夜は仏壇のロウソクまでかき集めて明かりを取る。一軒家に、多い時は12人で暮らす生活は2年近く続いた。

小山さん一家が家を再建した後も、街の復興は遅々として進まない。路上では常にダンプカーが土ぼこりを巻き上げ、進学した中学校も校庭の半分を仮設住宅が占めていた。子ども時代は外で遊ぶことができなかった、と小山さんは振り返る。

そんな中で将来、看護師になろうと考えるようになった。高校を卒業して今は地元の看護学校に通っている。

「自衛隊や消防士、看護師や医師などの医療関係者が私たちを支えてくれる姿を、あちこちで目にした影響はあると思います。初めは外科志望だったんですが、最近はドクターヘリに乗って救急医療に従事するフライトナースになりたいと考えているんです。災害救助など、まさに今困っている人を助けるという仕事に魅力を感じて」

 


ルポ・明日に向けて歩き出した被災地の子どもたち
【1】小2で父を津波で失い
【2】大川小出身者として/「空襲よりマシだ」とおばあさんは言った
【3】失ったものもあるけれど、看護師になる夢が持てた