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身一つで避難所を転々と

同じく小学校で被災したが、校長の判断で避難訓練とは違う裏山に逃げて助かったのは、宮城県気仙沼市在住の小山明香さん(19歳)だ。当時小学3年生。

「みんな泣き叫んだり、靴を履き替えられなくて裸足の子もいて、パニック状態でした。裏山からは車や家々を巻き込んで真っ黒い水が流れてくるのが見えて。雪が降っていて寒く、防寒着もないし、みんなでひとつに固まって寒さをしのぎました」と、当時の様子を語る。

迎えに来た母と、当時小学6年生だった兄と一緒に、小学校の前にあるバイパス道路に一時避難をした。そこで見た、巨大な船が海から目の前まで流されてきた時の恐怖と驚きは忘れられない。

気仙沼では大規模な火災が発生し、10日ほど延焼がつづいた。小山さんたちはほとんど身一つで避難場所を転々として、車で旧道を通って山の向こうに逃げた。たどり着いた避難所では、200人ほどの人が体育館のブルーシートの上で毛布を被り震えていた。

「そこで90歳ぐらいのお婆ちゃんが空襲の話をしてくれて、『空から爆弾が落ちてくるよりはマシだ』って。小さい子どもたちも真剣に話を聞いていました」