掌のうえの循環エコが楽しい

さて、月日は流れに流れて、50代も半ばに差しかかろうかという現在。チラシは、相変わらず箱の中にどっさりため込んである。けれども、文章をつづったり絵を描いたりすることが大好きなので、うっかりすると底をつきかねない。

最近は、コロナ禍の影響なのか折り込み広告が減っている気がして先行きが不安だ。チラシが尽きたら何も書けなくなってしまうではないか。想像しただけで居ても立ってもいられない。

チラシを浪費してはいけない。必死に家探しした結果、やっと見つけたのが、若い頃買い漁ったブランド物の紙袋。大中小合わせて20枚くらいあった。中身はとっくにどこかへいってしまったというのに、袋代も入っていたのだろう、やけに頑丈だ。

バブル期の自分は愚かであった、と反省の気持ちを込めて、取っ手を外してカッターで袋を切り開く。大きな一枚の紙になったそれを適当なサイズに切り分けた。心細かったチラシの箱の中がグッと充実してひと安心。

それでも油断は禁物、とますます気を引き締める私。最近ではレシートを取っておいて、次回の買い物メモとして使っている。レシートの裏は鉛筆が走りやすくてメモには最適の材質だ。エコだし、何だか楽しいではないか。

こうして私の掌でクルクルと循環する社会が実現している。それをみみっちいと、人は笑うのだろうか……。ちなみに、今この文章を書いているのは、昨年のカレンダーの裏だ。マス目を作り原稿用紙にして投稿するほどの勇気はないので、これから市販のものに清書します。


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