音楽と映画への愛溢れるコラムから
“私小説”まで詰め込んで

大学の音楽サークルで知り合った仲間と組んだバンド、「ピチカート・ファイヴ」でデビューして以来、音楽の仕事をしていますが、同時に、原稿執筆もおこなってきました。僕は楽器を演奏しませんし、前面に立つタイプでもないので、「ミュージシャン」というよりも、曲や詞を書く裏方の「作家」のほうがしっくりくる。そんな「作る」ことの延長線上に執筆があり、気がつけば細く長く続いています。

雑誌やブログなどに書いた短い文章がある程度溜まると本にまとめていただいて、今回の本で3冊目になりました。内容は、小学生のときから集めているアナログレコードのこと、月に約40本観続けている映画の感想、そして5年分のツイッターの投稿や、小説のようなコラムまで。「充実した単行本を出せるのは、年齢的にもこれが最後かもしれない」という気持ちで書きとめてきたものを詰め込みました。

本のタイトルの「わたくしのビートルズ」は、すんなり浮かびました。僕にとって特別なアーティストであるビートルズとの出会いは、小学校6年生。テレビの音楽番組で初めて曲を耳にした瞬間、カッコよさのあまり、体じゅうに衝撃が走りました。

ある日、両親に「ビートルズが好きだ」と告白すると、なんと父もファンで、レコードを全部持っていた。すぐに全曲テープにダビングしてくれました。両親とは家の事情で、離れて暮らしていた時期が長かったのですが、「やっぱり親子なのかなあ」と血の繋がりを感じましたね。

タイトルは、何を作る場合でも、一番大切なものだと思います。僕が作詞作曲をするときは常にタイトル先行で、タイトルさえ決められたら、ほぼできたも同然。あとはリラックスして、詞や曲のアイディアがドスンと降りてくるのを待つだけです。何日かけてもできなかった曲が、眠っている間に完璧に仕上がったこともしばしばあります。だから、僕の作る歌には目覚めのシーンが多く出てくる。実体験なんです。(笑)

この本では、自分の「経験」をもとにした内容をあちこちにちりばめています。読み返して、中学生のとき読んだ山口瞳さんの小説『江分利満氏の優雅な生活』を連想しました。小説なのにエッセイのような、不思議な面白さで。あの実話と虚構の狭間の魅力を僕なりに再現してみたいと思い、フィクションとも取れるような形で、恋愛や前の妻と娘のこと、現在の妻との馴れ初めなどを書きました。結果的に、“すごい変化球で書かれた私小説”という側面をもつ本になった気がします。

たとえば、僕の恋愛観が滲み出てしまった「小西康陽のコント。」「女の子には名前がある。」のページに登場する女性たちは、美しく賢く、どこかエロティック。それは、いま『婦人公論』のファッションページで書いているエッセイからも伝わるかな。

いっぽう男性は、僕のようなダメ男ばかり。子どもの頃は、遅刻しないし宿題を忘れたこともない。野球の試合中でも「門限だから」と帰宅する生真面目な性格だったのに……いったいどこで軌道が変わってしまったんでしょう。(笑)

カバーはもちろんのこと、カバーを外した表紙、目次など細部のデザインにもとことんこだわった、思い入れ深い一冊になりました。頭から読まなくても、その日その日、パッと開いたページのコラムを気楽に読む。そんな楽しみ方もしてもらえたらと思います。