2021年6月22日号
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[特集]
〈つながって、支え合って〉
「ひとり老後」を機嫌よく

夫が先に旅立って。子どもは家庭を持って遠方に。同居の親の介護を終えて──。 年齢を重ねるにつれ、多くの女性が「ひとり暮らし」を経験します。 その数は年々、増えるばかり。ひとりの老後には夢もある一方、不安がないとは言えません。 老いとどう向き合う? お金は足りる? 病気への備えは? ひとりだからこそ、周囲に上手に頼ったり、友と支え合ったり。 達人たちの工夫に満ちたマイペースな日常を覗けば、きっと勇気が湧いてきます

●注目記事●

〈90歳、ひとり暮らしの危機を社会学者に語る〉
転んで寝たきりになっても、
「これで終わり」とは思わなかった

澤地久枝×上野千鶴子

ノンフィクション作家の澤地久枝さんは、2020年自宅で転倒し、要介護生活を送りました。ひとり暮らしで最後まで機嫌よく暮らせる生き方を考える社会学者の上野千鶴子さんが、澤地さんを訪問。高齢のおひとりさまの多くが経験するこの危機をいかに乗り切ったかに迫ります

上野 今日は、子どものいないホンマもんの“おひとりさま”の大先輩にお目にかかりにまいりました。なんでも昨年5月に、腰椎圧迫骨折されたとか——。

澤地 はい。一時はベッドから起き上がることもできず、寝たきりの状態でした。

上野 先ほどいらしていた整形外科の訪問医の先生に伺いましたが、骨折直後は要介護4に認定されたそうですね。

澤地 リハビリをしてだいぶ筋力が戻って、今は要介護2です。

上野 すばらしい! 

澤地 この1年、階段が急なので地下の書庫には降りなかったけれど、上野さんが来るというので昨日の夜中にモップを持って降りて、お掃除したの。ですからゆうべ寝たのは2時半くらい。

上野 えぇ~っ! その回復力は信じられません。昨年、どんな状況で骨折されたんですか?

澤地 私は宵っ張りの朝寝坊。午前11時頃、電話が鳴ったのでベッドから起き上がって出ようとして転んで。すごく痛くて、立ち上がることもできませんでした。その日、妹が作ったお惣菜を、妹の連れ合いが届けてくれることになっていたの。だから電話で妹に「パパを止めて」とお願いして——。

上野 えっ? 「すぐに来て」じゃないんですか?

澤地 来てなんて、思わないわ。

(一部抜粋)

他にも、熊谷真実さんのインタビュー「シングルに戻ったけれど 浜松住まいを続けます​」、柴田理恵さんのインタビュー「故郷・富山に暮らす母の「本気」が私を動かして」、シニアブロガー・りっつんのノウハウ「家族のモノを手放したら、寂しさが覚悟に変わった」など。
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[読みもの]

〈あれは教育という名の洗脳だった〉
青木さやか× 村山由佳
母に怯え続けた日々、 書くことで見つめた先に

今や一般的となった「毒母」という言葉。その存在は育てられた側にとって、その後の人生に長く深く影を落とすこともあります。ともに母と確執があり、それを書き綴ることで昇華させた村山由佳さんと青木さやかさんが、苦い思い出や看取り、今だから言えることを語り合います

村山 青木さんがこのたび上梓された『母』を拝読しました。素晴らしいですね。

青木 光栄過ぎます。私、どうしたらいいのでしょう。

村山 いえ本当に。私も10年ほど前に、母娘の確執を描いた小説『放蕩記』を発表しまして。

青木 もちろん読ませていただきました。私は母を好きになれないという罪悪感に苦しんでいたのですが、拝読し、自分だけじゃないんだ、と気持ちが楽になったのを覚えています。

村山 こちらこそ、青木さんのエッセイに救っていただきました。それにしても、よくここまで赤裸々に綴られましたね。

青木 婦人公論のウェブで連載を始めた当初は、私のエッセイを読んでくれる人がいるのかな、という感じだったんです。なので編集部さんから反響があると聞き驚きました。コメント欄を読み、こんなにも母親との関係に悩んでいる人がいるのかと。これはいい加減なことはできないなと怖くなり、身が引き締まると同時に、できるだけ正直に書こうと努めました。

村山 青木さんのご両親は、ともに教師でいらしたのだとか。厳格な家庭環境だったようですね。

青木 特に母が。それでも躾に厳しかったというだけなら、後々感謝していたと思います。問題は、母が私に自分本位な怒りをぶつけてきたことなんです。(一部抜粋)

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〈元マラソン選手の告白〉
摂食障害と窃盗症に15年苦しみ抜いて
原裕美子

万引きをやめたいのに、やめることができない。窃盗を繰り返す人の中には「窃盗症(クレプトマニア)」という病気に苦しむ人が一定数いることが、近年明らかになってきている。女子マラソン元日本代表選手の原裕美子さんが窃盗症に陥った背景には、マラソンのための過酷な減量が原因で始まった摂食障害があった

「食べ吐き」を始めたきっかけは偶然です。私は走ることが大好きで、中学・高校の時は、朝でも夜でも暇さえあれば走っていました。小学校の時イジメに遭ってから対人関係が少し苦手だったので、速く走ることで周りの人が喜んだり、自分を受け入れてくれるのがとても嬉しかった。

マラソン選手は体重が軽いほうが有利です。高校時代は食べた分だけ走って体重を減らす指導を受けていました。当時のベストコンディションは44キロ(身長163センチ)。ところが2000年の京セラ入社時、49キロまで増えてしまって……。44キロまで落とすようにと言われ、思うように体重が減らないと厳しい食事制限を課されるようになりました。

体重測定は1日に4回から6回。社員食堂での昼食は、社員の方たちがパスタやデザートをおいしそうに食べているのを喉から手が出るような気持ちで眺めながら、用意されたたった半玉の蕎麦やうどんで我慢。お茶や水も、体重が増えるからとセーブしていました。(一部抜粋)


他にも、

〈武器はちょっと慎重な好奇心〉
少年時代の気持ちのままで
有岡大貴(Hey! Say! JUMP)

〈ジャニーさんが 試練を与えてくれたから〉 
人見知りの僕が覚悟を決めた時
岸優太(King & Prince)

〈「孫タレ」が切り拓いた道〉
宮澤エマ
総理一家の〝劣等生〞が 朝ドラ女優に!

〈食卓がいちばん大切な場所〉
高岡早紀
「魔性の女」と言われても、 生きがいは子どもたちです

などなど、盛りだくさん。ぜひご一読ください!!

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