昭和の芸能界のスター&モンスター

中野 ほんと、私もリアルに覚えてる。シャープ劇場『のり平のテレビ千一夜』も面白くて。番組がはじまるとき、丸い枠からのり平さんが顔を出してガオーッてやってたでしょう。

高田 あれは、MGM映画のパロディなんだよ。

中野 そう。考えてみればまだ50年代末だから、全部生放送よね。

清水 渥美清さんが全国区になるのは、それよりもあと?

高田 あとだよ。それこそ渥美さんの人気が出た『若い季節』だって、のり平さん、クレージーキャッツ、小沢昭一、黒柳徹子、志ん朝師匠……とあれだけのスターが勢揃いしてて日曜日の生放送なんだから。

中野 志ん朝さんが亡くなって、もう20年になるのね。

清水 お茶の間で人気が出たのは『若い季節』がきっかけ?

高田 『サンデー志ん朝』ってのもあって、「二枚目でカッコいい噺家がいる」ってもう江戸じゅうの評判よ(笑)。東京っ子にとって戦後最高のアイドルだった。三平さんもモンスター的な人気者だけど、様子がよくて芸がよくて、という噺家は志ん朝しかいない。まあ、その存在を妬んで、俺の師匠談志というもうひとりのモンスターも出てくるわけだけど。

中野 談志さんはなにをやっても志ん朝さんに勝てない思いがあって、政治へ転向していったのかも。

高田 おっちょこちょいだよなあ。だけどさ、なんでもやってみるってことが若さなんだと思う。「噺家で政治家やってるヤツなんかいないだろう」って面白がれちゃった。談志の好きな言葉でいう、まさに「囃されたら踊れ」よ。「それが俺らの仕事だから」ってとこ、あったんじゃないかな。