中野「テレビと映画に救われた」
中野 私は女だったからちょっと距離を置けたところもあって、家では、テレビのお笑いにすがりついてた。本当にテレビと映画に救われたんですよ。特に1960年代はテレビの時代で、その勢いに希望を感じたもの。
高田 あるとき、日大全共闘を束ねてた、かの有名な秋田明大っていう闘争委員長が大講堂に演説しにきたんだよ。名前を見て、「日大に、なんで明治の人が応援しにきてくれるのかな」とか馬鹿なことを言いながら、よくわからないままに手を叩いて、叫んでさ。「異議なし!」「ナンセンス!」って。
清水 まるでスターだね。
高田 大声出すと高揚するだろ。その足で池袋の文芸坐行くの。あすこの地下劇場、土曜の夜になると高倉健の映画5本立てってのをやるのよ。悪役に「ナンセンス!」とか言って、朝まで見るわけだ。正義の闘いと信じてる自分たちの姿とオーバーラップさせてね。
中野 高田さんが日芸に入ったのは、三木のり平さんの出た学校だからってことが大きいの?
高田 子どものころ、最初に大笑いしたのが『雲の上団五郎一座』の舞台中継だったから。のり平先生と八波むと志の「源冶店(げんやだな)」コントですよ。神様みたいに憧れてた。