がんになっても〈研究者の妻〉まっとうして

そんな義母は55歳のとき、姑を見送った。嫁としての務めを終え、やっと手に入れた自分の時間。だが地域の婦人会会長という役を任され、2年の任期を終えた後、人間ドックで胃がんが見つかった。毎年義父と受けていたのに、その前年は義弟ががんで他界して多忙を極め、1回飛ばしてしまったという。

すでに軽微なステージではなく、1年前にわかっていればと本人も周囲も思わずにはいられなかった。義母は諦めずに手術を受けた。

だが、しばらくして再発。「検査の結果があまりよくなかった。でも頑張っているから」と、電話口ではいつものように気丈に振る舞っていた。

がんになってからの義母の生き方は、それまでの人生が凝縮されたものだったと思う。病院での治療をしっかり受け、自称模範患者。「少しでも長く生きたら、主治医の先生のよい症例報告につながる」「論文に書いてもらえるように、頑張る」と常々言っており、闘病中の身であっても、〈研究者の妻〉という立場をまっとうしようと考えていたのだろう。

免疫療法にも積極的で、毎月1回、義父が100キロ離れた病院まで運転して連れていっていた。このドライブは貴重なデートの時間だったようで、病状の報告とともに、車中でのことを嬉しそうに教えてくれた。「患者仲間にすすめられた」と、義父とスギナを摘み、お茶にして飲んだりもしたそうだ。

さまざまな努力をしたにもかかわらず、体調は悪化。がんが見つかって5年が過ぎた頃、義母から「あなたたちのいる九州に行きたい」と電話がかかってきた。

病院の待合室でほかの患者さんから「あなたまだ生きていたの?」と驚かれるほどの体調なのに。新幹線で3時間の長旅、こちらで過ごして急に具合が悪くなったら……など心配は尽きなかったが、「大丈夫よ、無理しないわ。せっかく行くのだから、1週間くらいいたいわね」と、すぐにやってきた。会うのは正月以来。3ヵ月の間にずいぶん痩せて、目の下には大きなクマができていた。