母語でできないことは外国語でもできない

三森 日本人は一般的に、一緒に映画を観に行って、「今日の映画面白かったね」って言ったら「そうだよね。面白かったね」で終わってくれますよね。私はドイツやアメリカでうっかり「面白かったね」なんて言おうものなら「しまった!」と思います。「面白い」の実態を考えていないうちに、質問が降ってくるので。

多くの日本人の場合は、自分の考えていることが曖昧だという認識すらない。例えば「可愛い」って言ってしまえば、相手が必ず忖度して受け取ってくれるはずだと思い込んでいる。それなのに相手が外国人だと矢のように質問が降ってくる。しかも大抵相手の方が背が高かったりするので、それだけで上から攻撃されるように感じるんですね。

サンドラ 先ほどの企業の例では、会話は英語だったんでしょうか。

三森 英語だと思います。同じことを、スポーツ団体の方もおっしゃっていました。私はJOCで教えているんですが、その方の所属するスポーツ団体のコーチの1人にイタリア人がいたそうです。実はそのコーチに対して「いろんな質問をしてくるので解任してほしい」という意見が、日本の選手たちの中から出ていたそうです。

そこで「問答ゲーム」という、相手の問いに即座に適確に答えるための訓練を、毎日選手達に実施してもらったところ、1年間ですっかり変わったそうです。コーチと皆さんが不十分な英語でも話し合いができるようになり、日本人の中のイタリア人に対する恐れが消えたそうです。ということはやっぱり、母語でできないことは外国語でもできないんですよね。

サンドラ そうですね。よく英会話教室の宣伝で、「英語ができると世界中の人と会話ができる!」ってありますよね。それは嘘ではないけど、英語ができるだけでは、たぶん「私はこれが好き」「そうですか、グッバイ!」みたいな決まった会話しかできない。

深い話をするには、「自分はこれが好きで、それは昔こういう経験をして、これを見るとそのことを思い出すから……」と、通して話せないといけない。そしてそこまで話せるようになるには、まず日本語で意識していないと、英語にはできない。言語の問題だけではなく、思考の問題ですね。

三森 「思考そのものがなければ翻訳はできない」。とにかく母語で「思考」がないと、それは何語にもなり得ないということに気がついたというのが、例にあげた企業やスポーツ団体のかかえた問題が解消した大きな理由ですね。

※本対談は『ビジネスパーソンのための「言語技術」超入門』(三森ゆりか著)と『なぜ外国人女性は前髪を作らないのか』(サンドラ・ヘフェリン著)の同時刊行記念動画「英語ができれば世界中の人と繋がれる?」を再構成したものです

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