8月8日に閉会した東京2020オリンピック競技大会。その開催を巡っては長く議論が続いたが、結果としてメダルラッシュに沸いたことから、国内は五輪一色のムードになった印象も。橋本大輝(順天堂大)や入江聖奈(日本体育大)ら現役学生も活躍を見せたが、歴史を振り返れば、1940年に開催が予定されていた東京大会を巡って、多くの学生選手がその運命を翻弄されている。
実際に開催されなかった「東京1940」
メディア各社世論調査では「今回のオリンピック開催は中止すべきだ」という意見が半分以上、または半分近くを占めるところが多かった(たとえば、読売新聞は中止が48%、毎日新聞は中止と再延期合わせて64%)。オリンピック期間中の人流で、新型コロナウイルス感染症がさらに拡大する状況を案じてのことである。
こうしたなか、東京2020が閉会した。各競技で日本代表は好成績をあげたうえでの閉会であったが、しかし、新型コロナウイルス感染症の猛威はおさまらない。8月5日には、東京都内の感染者数も5000人を超えてしまった。
緊急事態である。非常時といっていい。これほどの非常時が、オリンピックと重なってしまったことに、日本代表選手、ファン、大会運営者などはどれだけ頭を悩ますことになったか。
実際、開催前にはJOC(日本オリンピック委員会)関係者からも「中止あるいは延期」という意見が出ていた。が、なんとか無観客で大会開催にこぎつけたことで、スケジュールをこなしきることはできた。
せっかく日本でオリンピックが行われるのに開催時期の延期、観客制限、コロナ禍への対応など、東京2020大会は受難続きだったが、じつは日本にとって「オリンピックの中止」を議論することに迫られたのは、今回が初めてではない。
今からおよそ80年前、1940年に東京でオリンピックが開催されるはずだったことをご存じの読者はどれだけいるだろうか。そして、それはかなわなかったということを。