戦時体制維持のためオリンピックを返上

1938年7月15日、日本は1940年の開催を予定していたオリンピック東京大会を返上すると発表。

返上の理由は、前年に始まった日中戦争が終結する見込みがなく戦時体制を維持する、競技場建設に必要な物資が不足しているなど、オリンピックに国費や時間を使うわけにはいかない、ということにあった。

東京大会を目指していた選手は大きなショックを受けた。東京大会の代替開催地として、フィンランドのヘルシンキで大会が行われることになったので、日本の選手は2年後のオリンピックを目標に練習に励んだ。

〈表1〉 ヘルシンキ大会で日本代表、日本代表候補となった大学生在籍校。『読売新聞』1938年3月2日、8日、10日、4月18日、7月6日の報道から集計

39年8月までに、ヘルシンキ大会の日本代表、日本代表候補が決まっていく。その中心は大学生だった。表1にいくつかの競技における大学生選手の内訳を記した(数字は人数)。