当時のわが家には、大学生の息子が2人。2歳違いだから、学費も馬鹿にならない。「災害で職を失った人もいれば、海外からはるばる出稼ぎに来ている人もいるのに。あなたも覚悟を決めて働いて」と夫を咤すると、いやいやながらも警備員の面接を受けに行った。人手不足なのか、即座に内定が出る。だが夫は、面接官から威圧的な物言いをされたのが気に食わなかったと言い、その後自ら断ってしまった。

ホテルの夜間受付の求人があっても、「暴力団に刺されたら終わりだから」と目もくれない。介護施設に面接に行けば、「部屋のカーテンが閉まっていて、雰囲気が暗かった」「職員がピアスをしていた。まともじゃない」と、面接を受ける前に自ら「門前払い」をすることもあった。

 

もう夫婦は続けられない

3ヵ月が経つと、ハローワークにも足を運ばなくなり、半年過ぎると、新聞の求人広告を眺めただけで「俺には無理」と言うようになっていた。かといって家事を手伝うわけでもなく、洗濯物はしわくちゃのまま干し、食器は半端にしか洗わない。見栄だけはあり、「買い物に行くから車を出して」と頼むと、「昼間にフラフラしていたらご近所に無職だとバレる」と断る。

家計にも口出しするようになった。息子たちがアイスクリームを食べていると、「おい、うちは金がないんだから、がまんしろ」。就活を始めた長男に、「家から通えるところに就職しろ。そうすれば、お前とお母さんの収入でうちはなんとか回るから」と言い出したときには、「もうこいつ、終わったな」と思った。

無職生活が10ヵ月を過ぎたころだろうか。仕事から帰ってきた私の背中越しに、「お母さん、もう働くのやめよう。生活保護をもらおうよ」と繰り返すようになった。もはやこの人は、他人に依存することしか考えていないのだ。そう思った途端、夫婦の情愛も冷めてしまった。近所にある実家で、当時87歳の義母と81歳の義父の世話をしながら仕事を探してみてはどうかと提案もしたが、彼は反発するばかりだった。