「カルネアデスの板」の話を、私は思い出した。船から海に投げ出された船員のもとに1枚の板が流れてくる。1人なら助かるが、2人でしがみつくと板は沈む。その際、相手を見捨てることは「緊急避難」とされ、罪には問われないという。あのときの私は、まさに緊急避難を必要としていた。

そんなある日、しびれを切らした長男が夫に詰め寄った。「頼むからおじいちゃんたちの家に行って。もうこんな生活、耐えられない」。夫は観念して家を出た。しかし息子に甘く、たび重なる転職にも52歳での退職にも、なにひとつ意見をしなかった義父母である。

 

もう「9060問題」の入口まできている

後日、私が実家を訪ね、離婚を考えていることを打ち明けたら、「しかたない。私たちが面倒をみるから」と簡単に請け合った。生活にゆとりがあるとはいえ、80代の老親たちが60手前の息子の面倒をどこまでみられるというのだろう。この家は、もう「9060問題」の入口まできているのだ。

少しでも彼らの負担を軽くしたいと、義父母についているケアマネジャーの女性に事情を打ち明け、それとなく気をつけてほしいと頼んだ。以来、道で会えば夫の様子を教えてくれるようになったが、状況は悪くなる一方だった。

義母が目を悪くしたため掃除が行き届かず、家の中は荒れ放題。義父は認知症の症状が進んで、介護施設へ。相変わらずこもりきりの夫は携帯電話を解約し、車も売り払ったという。どちらも社会復帰には欠かせないものだったのに、完全に諦めてしまったのだ。

それから3ヵ月後、私と夫の離婚は成立した。彼が生活をどう立て直すかなど、もはや興味はない。いまの私の心配は、彼の存在が子どもたちの足かせにならないか、ということだけだ。結婚した長男は、相手のご実家に父親のことを隠している。

ただ、万一自宅で義母が亡くなり、彼が遺体をそのまま放置したら。それどころか、生活苦から、亡くなった事実を隠して年金詐取をしたら。

他人になったとはいえ、老親に夫を押しつけた以上、私の責任はまだ終わらない。


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