金属バットで壁に穴、ペンキをぶちまけ…
中学校ではテニス部に入部したものの、そこでもいじめに遭い、不登校に。このころの私は、自室にひきこもる長男を何とかして学校に行かせたいという思いから、強く叱ってばかりいました。
荒れた長男は、私たちに手こそ出さなかったものの、金属バットで家の壁に穴を開けたり、赤いペンキを部屋にぶちまけたりと壮絶に暴れます。小さいころから兄にいじめられていた弟たちは怯えて、私とただ遠巻きに見ることしかできませんでした。
夫は転勤の多い仕事で、当時は香川県に単身赴任をしていたため、電話で相談すると話を聞いてくれましたが、具体策を見つけてくれるわけではありません。一筋の光を求めた私は、登校拒否児を持つ親の集まりに参加し、心を許せる友人にもすがりました。心療内科に通ったこともあります。
私にはパートとはいえ保育士の仕事があり、ほかにも息子が2人いるのだから、落ち込んでいる場合ではない。そう自分を奮い立たせ、長男と向き合う努力を続けました。
中3になった長男には、普通科高校の受験を諦めさせ、定時制高校に入れましたが、いま思えばこの選択もよくなかったのでしょう。半年後には「辞めたい、普通科に転入するから予備校に行きたい」と言い出します。定時制は休学して予備校に通い始めたものの、それも3ヵ月で「勉強についていけない」と、行かなくなってしまったのです。
ふたたび家で暴れる長男を扱いあぐねていたとき、夫の岡山転勤が決まりました。いっそ長男を一緒に連れて行ってはどうか。本人に聞いてみると、心機一転、新しい土地でやり直すという計画に心が動いたようで、岡山での2年間は友達もできて楽しそうにしていました。しかし次の転勤で福岡の定時制高校に転校すると、夜遊びを覚えて通わなくなり、卒業することはできませんでした。
一度は自宅に戻ってきたのですが、なにしろ田舎ですから本人が望む仕事もなく、半年後にまた「福岡で働くから」と言います。今度こそうまくいってほしいと願っていたのに、本人から届くメールは「お金がないので貸してほしい」とか、「体の調子がよくない」という内容のものばかりでした。