『つみびと』(山田詠美・著/中公文庫)

選択肢が見えるかどうか

春日 僕が産婦人科医だったとき、夫のほうの言い分に驚いたことがあります。彼らが語った本音を要約すると、結婚する理由が、恋愛でも見合いでも政略結婚でもない。「ただでセックスができ、ついでに家事もしてくれる。おまけに結婚していれば変人と思われない」。ごく普通の人が言うんです。考えちゃうよね。

山田 いろいろと話を聞いていると、「教養」の問題があるかな、と。教養って、よくも悪くも使えるもので……。必要だなと思うことがあります。教養は教育で得るもので、その教育をあらかじめ絶たれている人たちがどれほどいるかを考えると、優劣をつけるためのものではなくて、便利に応用できるものとしての教育の機会を与えてあげないといけないなと思うんです。

春日 教育って、「選択肢が見えるかどうか」ということですよね。

山田 そうなんです。何かを自分でチョイスする自由があるかどうか。

春日 『つみびと』を読んで考えたのが、人間が不幸になっていく理由。1つはね、「大間違いな工夫」。ちゃんと、抜き書きしてきました。

たとえば、琴音の母が夫の暴力で嫌なことがある度に「さあ、仕切り直し、仕切り直し」って言う。その部分だけ見ると、ヤフー知恵袋で紹介されそうだけど、目をそらすことによって問題の本質は見失われる。

あるいは、琴音が継父から性的被害に遭うとき、「心を飛ばす」。まさに《解離》ですよね。あるいは、琴音の娘の蓮音が誰かにすがる行為を自分に禁じる。頼らなければ断られて傷つくこともないから。

そういう、いじましい小さな工夫を重ねることによって、さらに不幸になっていく―。そこが丁寧に書かれていることに、すごく感心しました。

山田 うれしいです。一番、自分に課していたところなので。