援助者の迷いを払拭することが大切

春日 反復するのは、つらいのと同時に、ある種の安心感につながるんだよね。馴染みのあるところに戻ってくる、というか。

山田 状況に対しての共依存みたいな感じ?

春日 そうそう。そしてときには自らそれを再現し、「自分の力でリセットしてこそ本当の人生が始まる」と奮闘し、でもやっぱり呑み込まれる。

山田 一所懸命助けようと思っているのに、「あなたに言われることは何もないよ」って突っぱねられることもある。どうしたらいいんでしょうかねえ。「よそのうちのことだから」って諦めるしかないのかな。

春日 僕も含めて、広い意味で援助者がね、どうしようもない家族をなんとかしたいと思っても、事実上できないことは多い。そのときからめ手のやり方があるんです。

たとえば子どもが死んでしまう、という結果になると、関わった人はものすごく苦しむし、ヘルパーやケアマネだと、世間から指弾される可能性すらあるわけです。援助者としては「どうしようもないから見守っていた」、しかし傍から見れば、「放置していただけ」。

だから僕は「関係者でまずケース検討会議を開きましょう」って必ず言うのね。みんなで検討すると、大概、「これはどうしようもないね」となるわけです。それでいい。公式に「どうしようもない」ことが確定することで、援助者の迷いが払拭されるし、責任もシェアしてもらえる。

で、せっかく集まったから「動きが出たらこうしよう」くらいを話し合っておく。すると、必ず動きが出るんです。周りが不安やイライラを発散するとそれが伝わって相手も頑なになる。逆にこちらに心の余裕が生じると、相手も現状にしがみつかなくなる。

山田 「北風と太陽」みたいな感じですね。

春日 その通り。こっちが腹をくくって余裕を取り戻すと、僕の経験だとね、予想もしていなかったことが起きる。どうしようもない家庭だったけど元凶の人物がマンホールに落ちて入院して、突如、介入の余地が生ずるとか。何か偶然をうまく味方につけるお膳立てが整うんだよね。

※本対談は中公文庫『つみびと』の巻末対談を抜粋・再構成したものです。