「《選択肢のある自由》のためには、教養やお金、いろんなものが必要じゃないですか。この事件の報道を見ていて、そのことに目が向かないんだなと思いました」(山田さん)

子どもは言語化できない

春日 そしてもう1つがね、「痛々しい見当違い」。子ども2人を殺してしまった蓮音が「なぜ助けを求めなかったか?」と聞かれて、「幸せじゃない自分を知られるなんて死んだ方がまし」と言う。あるいは、琴音も、「私がいい気になっていたせいで、こんな事態を招いてしまった」と思う。子どもって「自分が悪い、自分のせいだ」と思ってしまうものなんですよね。

山田 いじめが原因で事件が起きると、「なんで言ってくれなかったんだ」と言うけれど、自分のちっさなプライドが邪魔して、親になんて言えるわけない。

春日 そのバランスの悪さね。特に子どもは言語化できないから。

山田 そう、言語化できないもどかしい人たちがいる。今回は「普通だったらこんなのわかるじゃん」というところを、「いちいち言わなきゃわからないんだ」と思いながら書いていました。

春日 3つめが「被害者意識」。蓮音が、4歳の息子の桃太に、「モモも、ママの邪魔すんの!?」って言う。あれは決定的な一言だよね。全員、自分が被害者だと思っている。被害者意識って、とんでもないことをするときのゴーサインになるから。怖いものです。

山田 「選択肢のある自由」のためには、教養やお金、いろんなものが必要じゃないですか。この事件の報道を見ていて、そのことに目が向かないんだなと思いました。

春日 たとえ患者さんに選択肢を示して、「こういう方法もあるよ」と一所懸命伝えても、みんな腰を上げない。こんなときこそ気合いを入れなきゃダメなのに、面倒がる。どうこう言ったって、被害者意識にかられながらの現状維持が楽なんだよね、大体の人は。

山田 人が本当の意味で自立するって、自分がここにいることに他人の手がかかっていると認識することだと思うんです。病んでる人は、そこがわからない。この小説の中でも、わかるまでに長い時間がかかります。