技術はあくまでツール

「私にとって技術はあくまでツールで、目的は〈孤独をなくす〉こと。しかし当時はなかなか理解されませんでした。『AIじゃないのは時代遅れ』とか、『それならテレビ電話で十分』と。失敗を重ねてようやく試作品ができても、使ってくれる人が見つからない。施設や病院を回っても、怪しまれて門前払いの繰り返しでした」

試行錯誤のなかで徐々に理解者や仲間も増え、「オリィ研究所」を設立。コンテストへの応募と入賞を繰り返し、少しずつオリヒメの知名度は上がり、人の輪が広がっていった。

そんななかで出会ったのが、吉藤さんの親友であり、秘書も務めた雄太さんだ。

番田さんは4歳の時に交通事故で頸髄を損傷し、首から下の感覚を失った。人工呼吸器を装着し、学校へも通えず盛岡の病院で20年以上の療養生活を続けていた。

「あるコンテストをきっかけに、SNSを通じて番田から長いメッセージをもらったんです。自分の状況と、オリヒメで一緒に何かやりたいと綴ってあった。その長文を彼が顎だけで書いたと知り驚きました。以来、ネットを介しさまざまなことを話し合ううちに会いたくなり、盛岡を訪問したんです」

やがて番田さんはテストパイロットとしてオリヒメの開発、改良になくてはならない人となった。

「たとえばオリヒメに手が必要だと言ったのは番田です。最初のオリヒメは、手のないデザインでした。手を振るなんて、一見ロボットには無駄な動きに思える。でも番田は自分が腕を動かせないからこそ、人が来た時に『やあ』と手をあげることの価値をわかっていたんです」