親友を失い、方向性も見失う

番田さんはオリィ研究所に秘書として入社し、さまざまなビジネススキルも身につけていった。オリヒメを使って吉藤さんと講演活動を行うようにもなり、二人の講演はどこでも評判を呼んだ。

「ある時、私が『番田、たまにはコーヒーでも淹れてよ』と冗談を言ったら『それができる体を作ってよ』と彼が言って、そうだ! と思ったんです。世の中は体が動くことを前提に作られている。だから肢体不自由の子たちが学校を卒業した時の就職率は5%程度です。

でも多くの人は高校時代にアルバイトする場合、肉体労働からスタートしますよね。だから社会に出る第一歩として、肉体労働ができるテレワークがあればいいなと。番田と一緒に、将来オリヒメでカフェみたいなのをやろうぜと話し合ったんです」

しかし番田さんはカフェの実現を見ることなく、17年に急逝。28歳の若さだった。吉藤さんは方向性を見失い、一時期何も手につかなくなってしまう。

「番田は親友であり、研究にとってのセンサーでもありました。一番オリヒメを使ってほしい人間がいなくなってしまい、半身を失ったようで」

だが番田さんが生前に語った「こんな体だからこそ、せめて生きた証を遺したい」という言葉が、再び吉藤さんの背中を押した。

<後編につづく