表に出ない駐日大使の役割

「重鎮と言われるような駐日大使であれば、本国との関係の中でも意見を通すことができる」「私の経験でも、1996年の米軍普天間飛行場返還合意では、ウォルター・モンデール大使が沖縄問題をよく理解し、橋本首相とともに合意を発表する重責を担ってくれた」「2002年の小泉首相初訪朝には米国政府のネオコン勢力が強く反対したが、ハワード・ベーカー大使は『日朝間に拉致問題がある以上、訪朝する必要がある』と言って、ブッシュ大統領との仲立ちをしてくれた」=田中氏

飯塚番組では駐日大使の存在の重みも議論しました。田中氏は普天間返還と日朝交渉を中心的に進めた当事者で、その体験を踏まえた言葉はまさに「歴史の証言」。日朝の話は、東アジア全体の安全保障にかかわるため、日本と北朝鮮だけでは決められない。米本国が反対する中、ベーカー大使が助け舟を出してくれたのは大きかった、と鮮やかに舞台裏を説明してくれた田中氏の話は迫力がありました。

吉田歴史をさかのぼれば、1960年代には知日派で日本研究者でもあったエドウィン・ライシャワー氏が大使を務めていた時代がありました。歴代の駐日大使には総じて大物と呼ばれる人が多い。これらの人々の尽力があってこそ、今日の日米関係が築かれた事実を忘れることはできません。

飯塚非常に重要だった大使は、77年から11年半にわたって在任したマイク・マンスフィールド氏でしょう。彼は民主党の上院議員を24年間務め、当時のレーガン大統領に直接電話できる大物でした。「日米同盟」という言葉が日本でまだ憚られる風潮があった時代に、「世界で日米関係ほど重要な2国間関係はない」と言い切って日米同盟の基礎を作った。日本では中曽根政権。冷戦時代末期という時代の要請もあったと思います。

歴代の主な駐日米大使(1月7日付 読売新聞)©️日本テレビ