2年ぶりの長編小説『彼女たちの場合は』を著した江國香織さん。主人公をうやましく思ったという自由な旅の行方はーー

目的のない旅に出た少女たちが見つけたもの

2年ぶりの長編小説は、少女ふたりの旅を描いた一種のロードノベルです。14歳の礼那(れいな)と17歳の逸佳(いつか)は、いとこ同士。礼那は父親の仕事の都合で家族とニューヨークに暮らしています。逸佳は日本の高校を退学し、アメリカの大学に入る準備のため礼那の家に居候中。そんな彼女たちがある日、「これは家出ではないので心配しないでね」と書き置きを残し、“アメリカを見る”旅に出ます。

ニューヨーク、ボストン、マンチェスター、ポートランド、クリーヴランド、シカゴ、カンザスシティ……。東海岸から大陸を横断する、ヒッチハイクや長距離バスの旅が続きます。彼女たちに目的はありません。たどり着いた町で泊まる場所を探し、次の行き先を考える。

ぶらぶらと町を歩き、海辺でフリスビーをしたり、貨物列車の車両を数えたり。あるときは偶然助けた老婦人に家で留守番を頼まれ、あるときはアルバイトをしてしばらく滞在する。いつまでに旅を終えるかも決めない、まさに行き当たりばったりの旅なのです。そんななかで、ふたりはたくさんの人々に出会います。旅先では日常での属性は関係なく、個人として行動するから、誰もが一匹の女、男になる。だからこそ、年齢も立場も超えた深い関係が生まれることもあります。

実は旅のルートや目的地に関しては、何も決めずに書き始めました。だから、書きながら「え、そっちに行くの?」と驚いたり、「もう夕方なのに、こんなところに着いてどうするの」と心配したり。彼女たちと一緒に旅する感覚で書いていたんです。目的がないということは、すべてが旅の楽しみになりうるので、無駄もないということ。大人になると、こういう旅は難しいですよね。この自由さ、目的のない旅の贅沢さは、作者の私から見ても羨ましいくらい。

本作では彼女たちの旅と並行し、案じながら待つ親たちの姿も描いています。ふたりの不在がさまざまな反応を引き起こすのですが、特に礼那の母・理生那(りおな)に訪れた変化は大きいですね。最初はひたすら帰ってきてくれることだけを念じていたのに、少しずつ彼女たちの旅を応援するようになっていく。同時に、まったく考えの異なる夫との、埋めがたい溝にも気づき始めるのです。

14歳と17歳という異なる年齢の少女たちを描くのは、過去や親戚を共有しているいとこという関係の心強さや特別さもあって、面白いと思いました。でも、私もいまやふたりより親の世代に近い年齢。少女たちの旅を追いながら、だんだん待つ側である親に感情移入する自分に気づくのは興味深いことでした。

アメリカを舞台にしたのは、あまりに広くて、州によって空気、人、英語、食べ物、すべてが異なり、旅にいろいろなバリエーションが生まれると思ったからです。食べ物といえば、私は小説の中で食べるシーンを書くのが大好き。今回は未成年ふたりを旅に出してしまったので、お酒は飲めないし、気の利いたレストランにも行けず、ジャンクなものが中心に(笑)。だけど、むしろそれでリアリティが出せたかもしれません。

小説はディテールが大切です。この作品では特に、小説の骨格になるところよりも、それ以外のところをすごく書きたかった。彼女たちと一緒に旅をしながら、「大きな出来事」だけでなく、「どうでもいいもの」を一緒に見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、感じたり。そんな読み方をしてもらえたら最高です。