そんな宮本さんに妹から、二世帯住宅を建て、宮本さんと母親、妹夫婦とその子どもたち、みんなで一緒に住もうと提案があった。

「母と暮らし続けることに限界を感じていたので、悩んだ末、思い切って同居を決めました」と宮本さん。

介護が始まって1年後、宮本さんはマンションを、妹も自宅を売り、二世帯住宅を購入した。現在、2階に妹一家、1階に宮本さんと母親が住んでいる。入浴やリハビリ、身体介助、訪問診療などの介護サービスをフル活用。通常勤務に戻った宮本さんが会社にいる日中は妹が母親の介護を担当し、帰宅後バトンタッチをしている。

「母はいつでも孫の顔を見られて嬉しそう。子どもや孫たちに迷惑をかけたくないという気持ちが強く、それが、『頑張らなきゃ』というリハビリの動機づけにもなっているようです。寝たきりだった母が、自分でトイレまで行けるようになりました」

会社のサポートや家族の協力など、宮本さんのケースはかなり恵まれているのかもしれない。ただ、介護サービスや支援制度を上手に利用し、働き方を工夫すれば、両立も不可能ではないことを示している。

 

認知症の母の面倒を、81歳の父に任せておけない
向井順子さんの場合

とはいえ、介護をしながら仕事を続けるのが難しいのも現実だ。自ら会社を作り、自分の裁量で勤務ができたとしても、それは変わらない。

たとえば、向井順子さん(53歳)は、企業の事務を代行する会社を経営していた。常勤は仕事のパートナーの女性と向井さんの二人だけという小さな会社だが、SOHOで仕事を手伝う登録スタッフを何人もかかえる。母親の介護に直面したとき、仕事との両立に試行錯誤をしながらも、最終的に、向井さんは会社をたたむことを選択する。

「父と二人暮らしだった母が認知症を発症したのは4年前。アルツハイマー型認知症に脳梗塞も併発していて、医師には『進行は早いでしょう』と言われました。このとき母は79歳。81歳の父は、食事の支度など家の中のこまごましたことはやる人でしたけど、なにしろ高齢ですからね。それに父は、『自分でちゃんとやれる』と言い張って、ケアマネジャーも家に入れず、介護サービスの申請や手続きもできません。父だけに任せられないと思いました」

向井さん自身は、夫、息子と娘の4人家族。結婚後、35歳まで専業主婦だったが、下の子どもが小学校に上がったのを機に今の仕事を始め、会社を立ち上げて15年になる。

母親が認知症になった当初は、会社をたたむという発想はまったくなかった。小さいとはいえ、会社の看板を掲げている以上、「介護」という個人的な理由で取引先からの仕事依頼を断るわけにはいかない。両立するための方策に考えをめぐらした。

そこで出した答えが、事務所を引っ越すというもの。それまで向井さんの会社は、両親が住む実家から車で10分ほどのところに位置する自宅そばのワンルームマンションにあった。仕事をしていると、往復20分の移動時間がとれず、なかなか足を運べない。ならば、実家の近くに事務所を移せばいい……。そう思った。

「実家の隣が空き家になっていたので、さっそく借りました。ここなら母の様子を見ながら仕事もできます。通勤用の軽自動車も購入し、毎日せっせと通いました」