「あなたの年齢で勉強についていけるんですか」
私は昭和59年から父母の介護をしてきた。当時は派遣法により、介護ヘルパーは家庭に派遣してもらえなかった時代。認知症の二人を抱え、30代の私は何度も役所を訪れたが、「娘なら親の面倒をみるのは当たり前。あなたが倒れて死にそうになったらヘルパーを派遣します」と言われた。それまで正職員として働いてきたが、泣く泣く退職、それからは睡眠時間2、3時間の介護の日々。
平成12年に介護保険法が施行され、介護保険申請をしたことで、ようやく自分の時間を確保できるようになった。40代になり、これからは自分の人生を切り開いていきたい。
考え抜いた末、両親の介護経験から、私には介護の仕事が適していると考えるようになり、通信教育のヘルパー2級講座を受けることにした。ヘルパー2級を取得したら、次は1級。両親の介護をしながらだったが、介護保険の仕組みがわかってくると楽しくなり、夢中になって勉強した。
ヘルパー1級を取得すると、介護の合間を縫ってパートに出ることに。そんな生活が10年を過ぎる頃、厚生労働省が「介護ヘルパーを介護福祉士へ」という政策を打ち立てた。介護福祉士はヘルパーと違い、国家資格である。介護現場のリーダー的な役割で、給料もヘルパーより高い。これを取得すれば60歳を過ぎても働けるに違いない。
しかし問題は学校に1年通わなければならないことだった。仕事と親の介護もあるなかで、ぎりぎり通えると判断した学校の候補は3つ。
1つ目の学校に電話をして「受験したいのですが、55歳の私でも大丈夫でしょうか」と聞くと、電話の向こうからは「あなたの年齢で勉強についていけるんですか。第一、体力が持つんですか。あなたの娘さんだったら良いですけどね。あははは」と、大声で笑い飛ばされた。ムカッときた。
「私こそ年齢で差別をするような学校に入りたいとは思いません。福祉の門戸は広く開けて受け入れるべきです」、そう言って受話器を置いた。2つ目の学校も丁寧ではあったが、やはり32、33歳までですという返事だった。
半ばやけくそで3つ目の学校に電話した。すると「大丈夫ですよ。昨年、65歳の女性が、娘さんと一緒に入学しました。今は施設で働いています」と教えてくれた。
いざ入学してからは、本当にハードな1年だった。勉強、実習、テスト、卒論。さらには夫が脳梗塞で倒れ、学校と病院と自宅の行き来には、ほとほと参った。