物語は人生を救うのか
ちくまプリマー新書 840円
物事がうまくいかなければ、
ストーリーを疑ってみる
人は知らず知らずのうちに「物語」を求め、それにより自分の「人生」を語ってしまう。そのようにして語られた言葉はときに人を苦しめ、ときには自由にする。そんな主題を扱った前著『人はなぜ物語を求めるのか』の続編である。
「物語」は英語で〈ナラティブ〉といい、ナラトロジーといえば物語論、つまり物語の構造や形式についての学問をさす。対して「ストーリー」とは、物語(語り)によって表現される、時系列や因果関係をもつ出来事の連なりのことだ。多くの人は人生をストーリーによって把握し、さらに自分なりの物語として理解する。だがそれは当人をどこまで救い得ているだろうか? この観点から、本書は前著での問いをさらに深めていく。
たとえば〈子育て神話〉について、著者はこんな疑義を提示する。親から子に対する過干渉やネグレクトはよく問題とされるが、そこで軽視されているのは「子から親への影響」ではないか。遺伝的要因などで安定を欠いた子が生まれた場合、そのことが親を追い詰める可能性は高い。だが因果関係がつねに親(原因)→子(結果)と流れるという予断に、人はあまりにもやすやすと囚われてしまう、と。
こうした精密な議論を経たのちに、著者は自身と祖母との関係をめぐる生々しい体験から、「人は思いのほか自分のことを知らない」ことを明らかにする。そして「人に罪悪感を抱かせるようなシステム」としての物語から逃れることの必要を強く説くのである。自分の人生がうまくいっていないと感じるとき、人は特定の物語に囚われているだけかもしれない。より幸福に生きるために必要なのは、その物語の前提を疑い、みずから編み直すことなのだろう。