白上一成(滋賀県栗東市出身)

白上一成さん

●人力車に出会ったきっかけは?

大学生の頃に浅草に観光に行った際、今の会社の人力車に乗ったのが初めての出会いでした。その後、関西から上京する際にその時の思い出があって、人力車の仕事に挑戦したいと思い働き始めました。

●音楽と人力車の俥夫として二刀流の活動ですが、大変な部分や、お客様からの言葉などで励みになったりすることは?

二刀流の活動で大変な事は体力面です。

朝から人力車を引っぱり、夜にはライブで歌って踊るのでかなり体力を使いますので、普段からストレッチや食事、睡眠などのコンディションを整える事を意識して行っています。

夏の人力車は、暑さで熱中症になったりしてしまう可能性もあるので、水だけでなく塩分もしっかり摂る事を意識して塩飴などを補給が出来るように常にポケットに入れています。

人力車だけでなくても夏場は立っているだけでも体力が奪われます。

なので意識して食事、睡眠をしっかり摂って、常に万全の体調で人力車を引っぱれるようにこの夏は心がけていきたいと思います。

体力的に大変な事もありますが、人力車や音楽活動を通して遊びに来て下さる方が笑顔になってくれる姿を見ると疲れも吹っ飛びますし、その笑顔が原動力になっています。

●人力車を引いていて、一番疲れる「筋肉」はどこですか?

人力車では、ブレーキや走り出しの時に足の筋肉を一番使うため、その中でもふくらはぎが疲れます。

●ハプニングや思い出深いエピソードは?

僕が人力車デビューしたての頃に、ご夫婦から「人力車に乗せてほしい」と声をかけて頂きました。

旦那様が奥様にサプライズをしたいので協力をしてほしいと。以前結婚指輪をなくされた奥様に、改めてサプライズで指輪をプレゼントしたいとおっしゃったので、浅草のパワースポットである待乳山聖天という場所にお連れして、サプライズのお手伝いをした経験があります。

奥様が喜ばれていた姿は今でも覚えていますし、素敵なサプライズのお手伝いをさせて頂けた事は僕にとっても忘れられない思い出になりました。

●コロナ禍の2年間、「浅草観光」が大変な時期もあったと思います。現在の「浅草」はどのような雰囲気ですか?

コロナ禍では当初、浅草のシンボルである雷門から浅草寺にかけての仲見世通りにも、数人しか歩いてらっしゃないという今までに見た事がなかった状況を直接目の当たりにしました。

ですが今現在では、全国各地から観光客の方々、そしてファンの皆さんが少しずつ浅草に来て下さるようになり、活気があった浅草に徐々に戻ってきています。

●ご家族の反応は?

家族も実際に浅草で僕の人力車に乗ってくれるようになり、音楽活動、人力車の仕事の両面応援してくれています。

●「浅草」への思い、「浅草観光」に来られる方へのメッセージを

今までに浅草に遊びに来た事がなかったり、人力車に乗る機会がなかった方が、 僕たちの活動を通じて人力車や日本の伝統文化、そして浅草を感じてもらって好きになってくださっている事が1番嬉しく思います。

その中でお客様から頂く笑顔に僕達自身も、パワーを頂いていますし、さらに沢山の方に浅草や人力車を知ってもらいたいという大きな原動力になっています。

浅草は、四季折々色んな風景を楽しむ事が出来ます。

夏は紫陽花が綺麗で、隅田川の川沿いでたくさん見る事が出来ます。

人力車では夏の日差しを遮れる屋根が付いているので、日焼けが気になる方も安心して浅草観光が出来ます。浅草に来られた際は、ぜひ人力車に乗って観光して頂きたいです。