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もちろん私たちも、いつも平穏というわけではなかった。誤解や小さな諍いもなくはなかった。それでも、関係が完全に途切れることがなかったのは、高校時代から、その人となりを知っているという信頼感ゆえだろう。それが、寛容さを生む。何かあっても、あの人のことだから仕方がないよね、という暗黙の了解で包み込んでしまう。

それでも若い頃の私は、仕事をしていたせいか余裕がなく、苛立つことも多かったから、扱いにくい友人だったに違いない。友人のひと言が気になって、眠れなくなることもあった。思い出すと腹立たしくて、いっそ縁を切ってしまおうかとまで思ったりもするのだが、その勇気もなくうじうじする。

それも、相手が思いきって口にしたのならともかく、口を滑らせたような失言だったりすると、これまた本音が出たのではないかと推し、腹立たしさが助長されると同時に自己嫌悪も生じて、どう対処していいかわからなくなる。こうなると、悪いスパイラルに入ってしまう。

では、少し距離をおこうと、ほんのちょっとだけ疎遠になったりもするが、また何かのきっかけで関係が復活してしまうことがある。ところが、その時に相手とじっくり話すと、こちらの誤解だったり、被害妄想だったりすることもあるし、逆に、相手がこちらの言動に傷付いていたりすることもあるのだから、お互い様なのだ。

もちろん、こんな行き違いはごくたまにしか起きない。普段は会えたのが嬉しくて、互いに堰を切ったように喋る友人たちでもある。それに、困った時は助け合う、という暗黙の了解がある。疎遠になったり、復活したり、大きく膨らんで薄くなったり、縮んで濃くなったり、柔軟に伸び縮みするような関係が、良好な友人関係だと思う。