小説を書き始めた頃、ある年上の女性と親しくなった。彼女も書く仕事をしていたので、勝手に先輩だと思って敬い、家にも遊びに行った。その時、彼女が、私の初期の小説を、「軽薄だ」と何度も言った。今でも、その表情や口調まで覚えているので、私はとてもショックを受けたのだろう。そのまま縁遠くなってしまった。
30年以上も音信不通だったが、先日、彼女から、ある出版社の編集担当者に電話があったという。「昔の友達だけど、桐野さんは私のことを覚えているか聞いてほしい」と言われたそうだ。もちろん、覚えている。それは私が衝撃を受けたからで、その傷が癒えるのにしばらく時間がかかったからだ。彼女は自分の発言を忘れているから、連絡をしてきたのだろうか、と不思議だった。
健全な友人関係とは、相対的なもののように思う。つまり、傷付け、傷付けられ、である。そこが対等でないと、友人関係とは言えない。というか、続かない。だから、彼女と私は友人関係ではなく、単に私が憧れを持っていただけの人だったのだろう。この稿を書くに当たって、そんなことを思い出したりもした。
仕事や趣味を介して知り合う人々もまた、長い付き合いになる。そんな人たちは、友人というよりも、「仲間」と呼ぶべきだろう。仲間同士は共通の目的があるせいか、互いの内面にあまり踏み込まない。だから、傷付け合うことは滅多にない。会えば談笑し、趣味の話に興じて楽しく過ごせる人たちである。仲間とは、場と時間を共有している人たち、と言うべきか。
私は30年来、美容バレエ教室に通っているのだが、その教室の顔ぶれは、先生も含めてほとんど変わらない。週に二回は必ず会って、皆一緒に歳を取ってゆく。まだ30代終わりに通いだした私も、今は70歳。先輩は80歳近い。
互いに顔を見合わせては、歳を取ったわね、と笑い合う。何と楽しく愉快な関係だろうか。彼女たちは、真の仲間なのだと思う。私にとって、仲間も大事な人間関係である。