《受賞のことば》

9年かかって生まれた『底惚れ』 青山文平

『底惚れ』は私の小説のなかでは読み進めやすいほうでしょう。ですから、完成までに9年かかっていると言ったら、意外に思われるかもしれません。でも、ほんとうなのです。宿下がりになった下女とお供の下男の、大山街道を使った1泊2日の旅という着想が浮かんだのは2012年、蛮社の獄で知られる渡辺崋山の『遊相日記』を読んだときでした。渋谷村の道玄坂が昼なお暗いのも、荏田の宿場に狼が出るのも、みんな『遊相日記』に出ていることです。でも、それだけでは小説にならなかった。小説の輪郭を取り始めたのは6年の後、ある本で、犯罪の市とも言える中番屋の存在を知ったときでした。

強請りのネタが商品になる中番屋があったら、〈芳〉に儲け話を持ちかけて逆に刺されるという話へ展開できる。そして、刺されたのを恨むどころか、刺した〈芳〉を気づかいながら死んでいく〈俺〉を描くことで、一年限りの一季奉公を繰り返しながら老いていく、江戸の流動民の追い詰められた姿をも浮かび上がらせることができるだろう。そうしてでき上がったのが、2020年に文藝春秋から刊行された短編集『江戸染まぬ』の表題作です。

ここまでで8年。でも、そこから、短編『江戸染まぬ』を序章とした長編『底惚れ』が生まれるのは一年と早かった。『江戸染まぬ』が胚になったのでしょう、この間に仕込んで寝かせておいた他のさまざまな素材……岡場所の割床やら廻しやら、素人が束の間稼ぎをする地極やら頼母子の親助けやらが、互いに引き寄せあって、物語を組んでいったのです。

なかでも、大きな引力を備えていた素材が、入江町に41本の路地があって、その1本1本に路地番がいることでした。岡場所になくてはならない役割が、揉め事を丸く収めるトラブルシューターです。通常は妓楼に雇われた妓夫が務めますが、最底辺の女郎屋がひしめく入江町では、見世ごとではなく路地ごとに置かれる路地番が路地一本を仕切っていた。この事実を知ったとき、41人の路地番の頭となる〈銀次〉の像がくっきりと浮かび上がりました。そのとき『底惚れ』は、半ばでき上がったのです。

こうして書いていくと、私が実際にあった素材を手がかりにして物語を組んでいくことに気づかれると思います。そうです。私は、まず素材ありきの書き手です。リアルであることをひたすら追求します。おもしろければなんでもよいなんて露ほども考えません。銀色の鰺を書きたいからです。

鰺は大衆魚です。我々一般です。そして銀色は、死んで青魚になる鰺の生きているときの色です。大人物ではない個人が、大事件ではない事件と格闘してもがきながら生きていく様を描く……現代を舞台にした小説なら当たり前のことを、時代小説でやろうとしています。このために欠かせないのが、実際にあった素材だけで物語を組むことです。書き手と主人公に都合よく世界をこしらえると、つるんとしてしまって、ほんとうにもがく姿が現われ出ない。現実の世の中ならではのざらざらが消えて、銀色にならないのです。

私は1年365日、いつもそういうざらざらとした、私の想像力の及ばない素材を探しています。そんなことがあったんだという感動に背中を押されて、私は指を動かしていきます。『底惚れ』を書き出したとき、私の胸裡に〈信〉はいませんでした。書き進めるうちに、ふっと出てきたのです。私の場合、めずらしいことではありません。筋は素材と、素材が形づくった登場人物が組んでいくのです。

おのずと私の時代小説は、予定調和になりようがありません。つまりは、読み手の慣れ親しんだ時代小説の定型から離れてゆきます。そのようにしか書けぬのですが、迷いがまったくないわけではありません。それだけに、今回の中央公論文芸賞の受賞は、嬉しい、と言うよりも、実にもって、有り難いものでした。

<青山文平さん>