自分が看護師になったつもりで
久しぶりに会った母の第一声は「こんにちは」だった。一日の大半を布団のなかで過ごす母親の世話は、思っていたよりも大変ではなかったという。
「トイレは自力で行くことができていたので、転んだりしないか遠くから見守るだけ。あとは消化のいい食事の準備と薬の管理くらいです。用事があればあの人から『すみません。○○してくれませんか?』と声をかけてくる。他人行儀な言葉遣いにも、いつしか慣れていきました」
2ヵ月くらい経ったある日のことトイレに行く際、貧血で母親が転倒。ケイコさんは咄嗟に手を差し伸べられず、床に倒れている母親を、眺めることしかできなかった。
「ちょうど訪問看護師さんが点滴のために家に来てくれるタイミングだったから事なきを得たのですが、自分があの人を『放置』してしまったことが恐ろしくて。
でも看護師さんが、『あなたとお母様との関係は、お父様から伺っています。母親を看ていると思うとつらくなるかもしれないけど、自分が看護師になったつもりで“仕事をしている”と考えたら、気持ちが切り替えられるんじゃないかしら』と言ってくれたんです。その言葉で、少し楽になりました」
その4ヵ月後、母の病状は急激に悪化し、入院を余儀なくされる。入院中の約2週間、ケイコさんは一度もお見舞いに行かなかった。
「父から『母が死んだ』という連絡を受けたとき、悲しいと思えなかったんです。母の世話をしていた半年の間に、『ありがとう』や『ごめんなさい』を言われたことは一度もありません。死が迫ってきて、思い出話のひとつやふたつするようになるかと思っていたけれど、それもなし。
『母は母で、私に甘えられずに、つらかったかも』と今では思えるようになりましたが、それは、ぎくしゃくしながらも、最後の時間を共有できたからでしょう」
ケイコさんはそう振り返った。