「帰ってきてほしい」とは言わなかったけど
不仲な母親(当時65歳)の面倒をみざるをえなくなったのが、ケイコさん(42歳・食品会社勤務)だ。
「あの人から可愛がられた記憶が、ないんです。食事や洗濯など身の回りのことは最低限してくれたけれど、幼い頃からろくに話もしませんでした」
母は病弱で入退院を繰り返していた3歳下の弟を溺愛し、つきっきり。愛情の差は、きょうだいに対する態度の違いでも明らかだった。
例えば、弟がちょっと転べば、ケイコさんから見たら大袈裟に思えるくらい心配して、すぐ病院に連れて行く。怪我をしたのがケイコさんなら、消毒をして絆創膏を貼る程度だった。
「叱られる回数も弟より格段に多くて。父も弟も、事あるごとに『ごめん』と恐縮しているような視線を私に投げかけてくるほどでした。でも、何かあれば父を頼っていたので、困ることはなかったです。母とはほとんど接点がないまま大人になりました」
就職したタイミングで、母親から逃げるようにひとり暮らしを始めたケイコさん。盆暮れ正月すら実家へ寄りつかなくなり、母とは20年近く会っていなかったという。
しかし、3年前に母が末期の肝臓がんで余命1年を宣告されたのを機に、実家に戻る決断をすることになる。
「かねて『家族に迷惑をかけずに死ぬ』と口にしていたあの人が、『自宅で最期を迎えたい』と言っていると、父から電話があったんです。仕事が忙しい父と弟があの人の世話をするのは大変なこと。私が手伝わなかったら、二人に負担がかかるのは目に見えていました」
ケイコさんは、転職を見据えて退職と引っ越しを考えていたタイミング。自分が実家に帰れば、弟と父は助かるだろうと思った。
「私の気持ちを考えて、父が電話口で『帰ってきてほしい』という言葉を口にすることはありませんでした。でも私から『実家に戻るよ』と言い出すことを期待しているのがとてもずるい気がして、結論は出さないまま、その日は電話を切ったんです」
結局、父親の電話から2週間後に会社を退職。渋々ながら、実家に戻った。しかし、それは母親のためではない。大切な父と弟との縁が切れてしまいそうで、怖かったからだ。