主婦が自由に外に出られるようになった、意外な契機とは?

 僕は昭和30年代に登場したマンモス団地のはしり、ひばりが丘団地で3歳まで育ちました。ダイニングキッチン、ステンレスの流し台、ガス風呂、水洗トイレ。当時は憧れの的で、皇太子ご夫妻(当時)も視察にきたくらい。家族形態も核家族に。

酒井 この頃、『婦人公論』では団地を分析し、「鍵」に注目しています。それまでの家は外から鍵をかけられない構造だった。留守番が必要だからと、家に縛られていた主婦が、シリンダー錠が登場したことで、自由に外出できるようになりました。

「婦人を解放する団地──『鍵』族の出現」(1959年10月号)。「一見なんでもない鉄扉の鍵が、婦人に外出の自由を与えるお守りである」とある

 ほかにも変化がありますよ。団地移住者の多くは、それまで壁が薄い木造賃貸アパートに住んでいました。ところが、団地はコンクリートの壁にシリンダー錠。音を気にせず安心してセックスできるようになり、子どもがどんどん生まれた。(笑)

酒井 たしか「団地妻」という言葉も昭和40年代に……。プライバシーが保たれる空間ができたのですね。

 家電製品が普及して家事の負担が少し軽くなり、専業主婦の余暇が増えた。それで主婦たちは団地の自治会の活動に熱心になって、市役所に対して、保育園を作ってくれ、バスの便を増やしてくれと、働きかけをしてね。地域の問題から政治に目覚めていったわけです。ところが、続かなかった。だんだんとマンションに取って代わられ、団地自体が廃れていきました。マンションには団地ほどの連帯感はありません。

酒井 私の母はまさに専業主婦世代。仕事を持っていなかったから、離婚ができなかった、と。だから私には、仕事を持てと言っていましたね。まあ、私は結婚自体していないので、それは杞憂だったのですけど。(笑)

 今、女性は仕事も結婚も比較的自由に選択できるようになった。

酒井 そうとも言えないですよ。この間、20代の若い女性と話をしていて驚きました。彼女は給料が高いので、結婚相手の男性の給料なんか気にしないと思ったら……。

 そうではない?

酒井 はい。専業主婦になるつもりはないのですが、家計の主体は男性であってほしいのだそうです。男女同じ、ではなく、男性に頼りたい。私は以前、男性よりも下であると思いたい女性のことを「男尊女子」と名付けました。そんな男尊女子的な系譜が、変わらず脈々と続いているのだなあと感じます。

 先日、お茶の水女子大学がトランスジェンダーの入学を認めると決めました。男性と女性という分け方自体が、古くなるのではないですか。

酒井 男女を分ける線が、少しずつ溶解してはいるけれど、完全に溶けるのはまだかなり先なのではないかと思います。