モーツァルトに共感するのは・・・
演奏する時は、楽譜はもちろん作曲家の資料や本人の手紙などをとことん読み漁ります。それぞれの人となり、作曲した背景からも、彼らの頭の中に鳴っていた理想の音に迫りたい。古今東西いろんな作曲家がいますが、中でもモーツァルトには特に共感をおぼえます。
今回発売したアルバム『モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集』では、その名の通りモーツァルトが生涯に残したピアノソナタ全曲に対して、丁寧に解釈をして取り組みました。モーツァルトは18歳の時ミュンヘンでフォルテピアノ(現在のピアノの原型となる楽器)に出会います。その音にすぐに魅了されてピアノソナタを一気に6曲書き上げました。その後も彼は35歳でその生涯を終える直前までソナタを書き続けました。アルバムを通して聴いていただくとモーツァルトの中で確立していったものをお楽しみいただけると思います。
私の運命の瞬間にはモーツァルトがいつもありました。10歳の時、ピアニストになりたいと心から思ったのはホロヴィッツによるモーツァルト「ピアノ・ソナタ10番」を聴いた時でした。優勝したクララ・ハスキル国際コンクールと、2位をいただいたチャイコフスキー国際コンクールでもモーツァルトを弾きました。モーツァルトの楽曲は音数が絞られているので一音たりとも無駄にできません。正確で繊細な演奏が求められるところが私の性分に合っているのかもしれません。
例えばベートーベンの『運命』は「ソ、ソ、ソ、ミー、ファ、ファ、ファ、レー」というモチーフをとことん打ち出した35分間に及ぶ曲。「このフレーズ、これを聴かせたいんだ!」というハッキリしたものを感じますが、モーツァルトにはそういうところがない。曲全体が変化に富んでいて、人を驚かせたりするのが好きなことが伝わってきます。瞬間ごとに即興性があって、ここでフォルテなの?!ここでその調に行くの?!という展開がある。全体を通して、とにかく飽きさせない。楽曲解釈をしていると、そんな彼の意図を汲み取れて、とても共感してしまうのです。そして若い頃から晩年までの曲の変遷を見ていくと常に現状に甘んじることなく高みをめざしていたことが伝わり、鼓舞されるのです。
しかしたとえモーツァルトであっても、「聴いていて飽きない」と聴衆に感じさせるのは、演奏家の手腕に大いにかかっていると私は思います。ピアニストは同じ楽譜を前にして譜面通り同じ音符を弾くのですが、それぞれが音色だったり響きだったりで、いろんな違った音を引き出すことができる。ピアニストはその選び方で、格式張ったアカデミックなものではない、人を惹きつける音楽を形作ることが大切だと思うのです。