古い音楽をやっているので古い人間であることが合理的

今回の『モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集』には、楽譜にないフレーズや音符を取り入れた即興の部分も多くあります。楽譜にないフレーズというと、現代では珍しい試みと言われてしまうのですが、実はモーツァルトの時代では即興を加えるのが逆に普通のことだったのです。ソナタの大まかなパートである提示部・展開部・再現部の3つがあり、提示部では繰り返しをするように書かれていますが、2回目に弾く時には同じように繰り返すのではなく、演奏家のアレンジの腕の見せ所だ、と当時の記録にも残っています。モーツァルトの時代には超絶技巧を披露する曲などがあまりなかったので、2巡目はピアニストが自分の技巧を見せるための場だった。時代を経るごとに、楽譜通りに演奏しなくてはいけないという風潮になってしまったのですが、実は即興を取り入れている私のほうが歴史に忠実なのではないでしょうか。

コンツェルト(協奏曲)にも「カデンツァ」というパートがあって、本来そこは奏者が自由な演奏をしていいところです。演奏家が今感じて、取り組んでいることを見ていただくパートであるはずなのに、現代では誰か大物がかつて弾いたカデンツァをコピーして弾く人が多い。私は昔ながらに自分で書いて弾くことにしています。

私はいまだに便利と言われているiPadを楽譜に使うことができなくて、コーヒーをこぼしてヨレヨレになってしまっても紙の楽譜を愛しています。機械はあまり器用に使いこなせません。

演奏中の藤田さん ©Dovile Sermokas

言い訳かもしれませんが、古い音楽に取り組んでいるので、古い人間であることはある意味合理的なのかなと思います。古いものが色褪せていたり、時代に合わないとは限らないですから。古くてもずっといいものってたくさんあると思うんです。

デジタルで急速に音楽も身近になった時代です。CDやYouTubeを通して巨匠の音楽を手軽に聴くことはできますが、とはいえあの小さな媒体に入れられた音と、コンサートホールで聴く音というのは全然違います。多くの方に、木でできているピアノから直接出てくる「生の音」を聴いていただきたいと心から願っています。

私は、大きなホールであったら、音をここまでホームランのように飛ばそうとか、今日は客席が縦に高いホールだから上に響かせようとか、その都度考えながら弾いています。そして聴いてくださる方と空間、時間を共にすることで、弾いている私もそこに居合わせるただの一参加者のようになり、音楽を皆で共有する瞬間が訪れます。それは私が没頭して弾いているうちに、ここでフッと時間をとってみようかなと思い、聴いている方もそれに集中して、全てが一瞬消えるように感じる不思議な瞬間です。私が10代の頃、経験が浅くて「どう?このテクニックは!」と自分本位にピアノを弾いていた頃には味わえなかった感覚です。どんなにAIが発達したとしても、音楽の前に奏者と観客が一つになる感動は、機械に取って代わられることはないだろうなと思っています。

あ、でも、この『モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集』のCDは、完璧な状態で吹き込んであって、これはこれでとても素晴らしいです(笑)。ぜひ聴いてくださいね。

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