「倹約家」だけど「ケチ」ではない
私の母も祖母も、大変な倹約家でしまり屋でした。ふたりとも「もったいない」が口癖で、2枚重ねのティッシュペーパーをはがして1枚ずつ使っていたほど。それが当たり前だと、ずっと思っていました。
小・中学校の頃は、決まったお小遣いはなく、必要なものがあればそのつど親に申告するルールでした。必要な分だけお金をもらったら、「何月何日 松本明子 XXX代XX円」と、私が領収書を書き捺印して親に渡す。消しゴム1つ、鉛筆1本もその方式で、お金に関してはキッチリしていましたね。
とはいえ、家が貧乏だったわけではありません。父親は建設会社の四国支店長をしていて、給料はそこそこよかったようです。要は、意味のない贅沢はしない、必要がないのに生活を大きくしない、ということなのでしょう。
実際、なんでもケチるのではなく、冠婚葬祭や人にふるまうことにはお金を惜しまず、子どもの頃には、父が運転する車で家族旅行もよくしました。四国八十八ヵ所の札所巡りをしたり、酒好きの父は週末になると家族を連れて飲み屋街に繰り出したり。そういう時間も大切にしていたのです。
何かの時に惜しみなくお金を出せるように、日頃から締めるところは締める、というのが松本家のお金の使い方。わがファミリー、そこは揺るがず、です。つまり「倹約家」ではあるけれど、「ケチ」ではない。使うべきところを心得ているからこそ、日々の節約も苦痛ではないのです。
私もその遺伝子をしっかり受け継いでいます。知り合いの舞台や楽屋への差し入れは奮発しますし、みなさんが喜んでくれると思えば出費は惜しくありません。
おつきあいといえば、40年来のお友だちの中山秀征さんと食事に行くと、ヒデさんが全額支払ってくれるんです。でも、別れ際にお金を入れた封筒を「私の分」とお渡しする。そうしたことも、必要なお金の使い方だと思っています。