私は、15歳で香川県高松市から上京。事務所の寮に住み、堀越学園の芸能コースに通いながら17歳でデビューすることになるのですが、この頃はお金がなくて本当に苦労しました。当時の月給は手取り2万7000円。学費は自分で払っていたものの、給料を全額払い込んでも、まだ3000円くらい足りない。

不足分捻出のため、スーパーのレジ打ちのアルバイトや、退寮したタレントさんたちが物置に残した洋服やグッズを、寮長の許可を得てフリーマーケットで売るなどして必死でやりくりする日々。結局、泣かず飛ばずのまま21歳を迎え、建て替えで寮が閉鎖される時まで残っていたのは私ひとりでした。

その後、初めてのひとり暮らしをしたのは、家賃5万円のアパート。当時、月給15万円で、まだまだ生活は厳しく、無駄遣いは禁物と、私の節約にもさらに磨きがかかりました。

ようやく給料制ではなくなったのが27歳の頃。『DAISUKI!』『TVチャンピオン』『進め!電波少年』など、ようやくレギュラー番組がもてるようになった頃ですね。

この時、高松から両親を呼び寄せてアパート暮らしを始め、5年後に家族3人で住むための家を購入。頭金は父の退職金から、残りは私が30年のローンを組みました。ローンを組んだのは、あとにも先にもこの一度きりです。

お金の管理はすべて親がしてくれていて、私はそこから必要なお金やお小遣いをもらうという生活を送っていました。

お金に関して堅実な親です。浮き沈みの激しい芸能界、私の将来も見据えてのことでしょう。返済するまで贅沢はしないと、節約生活はさらにパワーアップ。私が稼いだお金を親はせっせとローン返済にまわし、結果、12年で完済することができたのです。

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