共演する機会は今までなかった

──お二人が前後して結婚なさる頃、映画界は“新しい波”といわれるヌーヴェルヴァーグ全盛でしたね。

小山 そうですね。新しい試みの映画を撮るという。松竹従来のお家芸、メロドラマから脱却しよう、と。

岩下 松竹映画のイメージを変えようということで、若い監督さんが抜擢されてね。自分で書き上げたシナリオを城戸(四郎)社長に提出して、社長が気に入ると監督に抜擢されたりしたそうです。

小山 篠田さんも大島も、シナリオが書けましたから。書けないとなかなか映画監督への道は開けなかった。

──小山さんの一番思い出深い作品は?

小山 『日本の夜と霧』(1960年10月9日公開)ですね。封切からわずか4日で上映中止になって、10月30日に私たち結婚しましたから。

岩下 あのとき結婚なさったのね。

小山 ええ、神田の学士会館で。たしか篠田さんはいらしてたと思う。

岩下 私はまだデビューしたてでした。何かで読んだんですけど、大庭監督が「映画はヌーヴェルヴァーグで、家庭は松竹大船調で」って、祝辞でおっしゃったとか。

小山 ええ、でもそれからアジテーションがすごくなって。安保闘争を扱った映画だから、それが上映中止になるとはけしからん、というアジで大変だった。結婚式なのに。

岩下 その頃、社会党委員長の浅沼稲次郎さんが右翼の山口二矢という青年に刺殺される事件がありましたね。あの事件は私、忘れられなくて。あの山口二矢という人、私の同級生の弟なんです。だから『日本の夜と霧』もよく覚えているの。

小山 とにかく結婚式は大荒れで、いろいろ問題が起きて、翌年、大島も私も松竹をやめたんですから。

──岩下さんの結婚式は京都で、静かで。

岩下 ええ、高桐院というお寺です。二人でよくデートしてた場所で、いいお寺だねと。仏式結婚です。親族だけ招いて、16人の結婚式でした。

──ところで、小山さんと岩下さんが共演した作品はなかったのですか。

小山 それがないのよね。お会いしたことは何度かあるけど。

岩下 お互い独立プロダクションになってから、大島組も篠田組もスタッフや脇の俳優さんが同じだったりしてたけど。小松方正さん、佐藤慶さん、戸浦六宏さんとか、大島さんがお好きな俳優さんを篠田も好きで。

小山 そう、独立プロになったんで、共演する機会がなかったのかもしれない。志麻ちゃんは篠田監督にいつも綺麗に撮ってもらってて、私はいつも変な役ばっかりで(笑)、どうしてなの? と大島に言ってました。

岩下 あら、でも『少年』の小山さんの役は素晴らしかった。

小山 子供をわざと車に当ててお金を強請(ゆす)るという、当たり屋のお母さん役ですよ。犯罪家族の話。

岩下 あの映画、衝撃的でしたね。ベネツィア映画祭に大島さんが『少年』、篠田が『心中天網島』を出品して。私、大島さんとよくお昼のパスタをご一緒しましたよ。