──大島監督がご病気になられたのは、『戦場のメリークリスマス』のあとですよね。
小山 そうです。一度復帰して『御法度』を撮って、一緒にカンヌへも行きましたけどね。
岩下 長年、介護なさって、本当に尊敬します。どれくらいですか?
小山 倒れてから17年で、在宅介護は11年です。この大変さは、やった人でなくてはわからない。大島が倒れた時に、私くらい最低な女性はいないと思って嘆きました。3食作ったことがない、カロリー計算もしたことのない人間が、一からやらなくてはいけない。それが大変で……。
岩下 どうやってその状態を乗り切られたんですか?
小山 最初は介護うつの状態が3、4年続きましたが、水泳や料理教室に行くようになったらうつが抜けました。週1回の水泳教室を20年、今も続けている、というのは私の自慢ですね。
岩下 身体を動かすことはいいことね。私は太極拳。週1回、ジムに通ってやってます。
楽しいことがなくては人生つまらない
──監督と女優さんの結婚生活って、やっぱりご主人への尊敬というもので成り立っているような気がします。
岩下 それはそうでしょうね。篠田もわりと早くに引退しちゃいましたけど、監督業って、それは大変なんですよ。まず脚本でしょ。それにロケハンがあり、すぐに撮影現場。役者みたいに自分の出番だけじゃなくて全部ですからね。終わってから編集や音入れがあるし。体力がないとできないですね。
小山 私はね、このごろつくづく思いますけど、舞台とかテレビの仕事って、あまり残っていかない。だけど映画はどんなに古くても、いい作品なら残りますからね。
岩下 そうね。今も海外から篠田の作品を上映したいという話があります。大島さんのところもそうだと思いますし、やはり映画はすごいです。
小山 私たちは正統派な映画作りのなかで仕事をしてきた、最後の世代かもしれませんね。だからこそ大島が倒れた時、あんなに頭脳明晰で仕事ができた人なのに、今何もできないでさぞ無念だろう、という気持ちがずっとあって、最後まで尊敬する大島渚として看取ることができた。
岩下 相手への尊敬ですよね。私もずっと篠田を尊敬してきました。
小山 それと、大島も私を認めてくれましたから。「私、大学も出てなくて、議論にも入っていけないし……」って言うと、「あなたは撮影所という大学を出てるじゃないか」って。初めて講演を頼まれたときも、「私、1時間なんてとても一人でしゃべれないわ」と言ったら、「君は僕の前で1時間しゃべっているじゃないか。君ならできるよ」って。