談春 師匠の言ってることはめちゃくちゃだ、と思った人間は当然辞める。でも妄信した人間も、いつか疑わなくてはいけない時が来るんですよ。さらには、捨てなきゃいけない時が来る。

それは落語家になってだいたい10年、いわば10歳。思春期に自立したくなって真打に昇進し、運がいい弟子は20歳になったあたりで師匠が死んでくれる(笑)。死なれてみたら、「自立を目指した数年間、俺は何をしていたんだ」と悩む。でも七回忌くらいで、忘れるんですよ。

酒井 親子関係のようです。

談春 「守破離」という言葉があるでしょ。入門して前座の間は師匠の芸のコピーを目指すんです。これが「守」。次に、教えや型を破るために必死で考える。これが「破」。それを破って師匠のもとを離れられるのは、ほんの一握り。

ただ、自分をちょっぴり出すのは簡単だけど、観客にウケなければ続きません。破ったことすら忘れたら、自分の心のままにやれる。そうなって初めて、己からも離れられる。

酒井 落語家人生のなかで、記憶に残るつらい出来事はありますか。

談春 売れなくて心が壊れそうになってた頃、談志が「こいつは俺より上手い」と言ったことがありました。明らかに噓です。談志は、このままだと壊れるなと思うと褒めてくる。だから褒められるのが怖かったの。

でも談志が褒めたというだけで、周囲の状況は変わる。やってきたことが報われたなんて思わなかったし、むしろ「世の中こんなものか」とひねくれた。その気になって自分はちょっとやれると思ったら、迷いの森に入って戻ってこられなくなる。そんな芸人、山ほど見てますから。