やがて母の発案により、15周年記念コンサートの一コーナーで、声楽家として活動していた姉と一緒に童謡を歌ったところ、大好評に。母がレコード会社の方に「私の棺に入れる一枚を作ってほしい」と掛け合って生まれた「安田姉妹」のCDは100万枚を突破し、95年にはニューヨークのカーネギーホールで10周年コンサートを開催するまでになったのです。

でも、私には、歌謡曲の世界に路線を戻したいという気持ちがありました。そこで姉に相談したところ、「悔いのないように」と快く背中を押してくれ、「安田姉妹」としての活動と並行して歌謡曲と向きあいました。

アメリカのジャズオーケストラ、ピンク・マルティーニとのご縁に恵まれたのは、40周年を迎えるにあたり、再び歌謡曲にきちんと向かい合おうと考えていた矢先のことでした。共演したアルバム『1969』は、1969年の大ヒット曲を集めて制作したもの。大半が日本語で歌う日本の歌謡曲ですが、世界50ヵ国以上で発売され、大ヒットにつながりました。

運を引き寄せたと言ってくださる方もいますが、チャンスは誰にでも平等にあると私は思うのです。ただし、自分がやると決めたことに対してひたむきに努力をしたうえで、チャンスの一番近くに到達した人が勝つのではないか、という気がします。

 

時代が進んだからこそ生まれる出会いもある

それにしても世の中は変わりました。音楽を取り巻く環境は、家族でお茶の間に集って歌番組を見る時代から、一人の時間に好きな歌をダウンロードして聴く時代へ。

実はピンク・マルティーニとの出会いは、YouTubeでした。私の「タ・ヤ・タン」という歌をピンク・マルティーニが演奏している動画を、私のスタッフが偶然に発見したのが始まりです。時代が進んだからこそ生まれる出会いもある。その一方で、便利さと引き換えに人間が精神性を失ってしまったと感じることも多く、それはどうなのかなと思います。

病院へ行って自動支払い機を利用したときのこと。最後に機械の音声で「お大事に」と告げられ、私はゾッとしました。機械の音声に囲まれて育つ子どもたちの感性はどうなってしまうのだろう。人の声には優しさ、労り、励ましといった温かい感情が込められています。AI時代になり、人の心に触れずに育てば、子どもたちの心は無機質になってしまうことでしょう。闇雲に便利さを優先して切り捨ててしまったことの中に、かけがえのないものがあるはずです。