こんな生活は嫌だ。他人がうらやましくて
3人が狭い家の中で、それぞれの居室でそれぞれに暮らすようになって、10年が過ぎた。朝は各自、バラバラの時間に起き、好きなように朝食をとり、昼と夜は私が作りおきしたものを文句も言わずに食べる。私は時折、こういう生活に息が詰まり、たまらなく嫌になる。そしてやたらと友人・知人の生活がうらやましく思えてならなくなるのだ。
「従妹の久美ちゃん。本人はそんなに勉強ができなかったのに、子ども2人は国立大を卒業して医者や教師になったって。旦那さんは高卒なのに公務員を勤め上げてたくさん年金をもらい、しかも土地や家を相続して、悠々と夫婦で老後を楽しんでいるみたいよ」。そんな話を実家から聞くと、つい自分と引き比べ、情けない気持ちになる。
夫が会社を辞めた頃、私は昼間、小さな化粧品会社で雑用のパートをし、夜は中学生向けの塾で数学と社会を週3日教えていた。やっと貯めた200万円を少しでも増やしたい。同僚が運用しているという投資信託の話を何度も聞き、自分なりに経済の本や雑誌を読んで勉強した。実際に自分もやってみようと銀行に足を運んだ。
窓口で、ある投資信託を申し込むと、とても感じのいい若い女性銀行員が、「ほんの少しお話しさせていただいてもよろしいでしょうか」と、別の投資信託についてのセールスをしてきた。当時、その銀行で売り出し中のものだ。話をひととおり聞いたあと、もともと考えていた投資信託のほうが優れていると感じられたので、「けっこうです」と断った。……つもりだった。
きつい言葉で彼女を傷つけないように使った言葉だったが、彼女はそれを「買ってもいい」と解釈した。仕事熱心ゆえの思い込みだったのだろう。きちんと確認すべきだったのに、お互い不注意であった。申込用紙は私の住所と名前、そして投資信託名を書くだけの簡便なもの。
私が望んでいる投資信託の長い名前を書こうとすると、彼女は「ニックネームでもいいですよ」と、親しみやすい簡単な名前を教えてくれた。それは私が断ったつもりのほうだったのだが、確かめもせず彼女の言葉を信頼して、うかうかと書いてしまった。