では、なぜこのようなことになってしまったのだろうか。

遡ると、日本のホームヘルパー制度は、1950年代に長野県上田市で始まったと言われている。

「生活困窮に陥っている母子世帯や独居高齢者に対し、家事支援をする地域の助け合い活動が生まれました。それが長野県の独自施策となり、各地に同様の取り組みが波及。そして1963年に老人福祉法が成立したとき、家庭奉仕員という名前で『家事援助』と『相談支援』を柱にしたヘルパー制度が始まり、全国に拡大していったのです」と解説するのは、東洋大学福祉社会デザイン学部教授の高野龍昭さんだ。

かつては市区町村役場にヘルパーが所属する時代もあり、公務員として待遇は悪くなかった。

「ただ一見、誰にでもできる仕事に見えるだけに、ヘルパー自体の社会的評価は決して高くありませんでした。それに公務員はともかく、社会福祉法人などで訪問介護の仕事をしている人に対しては、昔から十分な予算が充てられたわけではありません」と高野さん。

1990年の老人福祉法改正で、家庭奉仕員の名称は訪問介護員(通称・ホームヘルパー)に変わり、身体介護も業務に加えられた。90年代半ばから介護保険制度導入への機運が高まり、97年に介護保険法が制定。2000年から運用が始まった。折しも90年代の規制緩和の波を受け、あらゆる分野で民営化が進められた時代だった。

「福祉分野でも、それまで自治体職員が中心だったホームヘルパーを、民間法人に積極的に委託することになりました。委託先には自治体からの補助金が支払われていましたが、その費用は安く抑えられました。当時すでに人口の高齢化が問題になっていましたから、将来の財政問題に対する意識も働いたのでしょう」(高野さん)

専門性が必要な仕事であるものの、「専業主婦が空いた時間にする仕事」というイメージで安くコスト計算された歴史があり、今も改善されていないというのだ。