「俺もやられたが、もう子どもは作れないぞ」
強制不妊手術の被害者は、女性が7割とされるが、男性も少なからずいる。宮城県出身で、現在は都内に住む北三郎さん(70代・仮名)も、不妊手術を強いられた一人だ。飯塚さんと同日に提訴している。
「実母は幼い頃に亡くなり、父が再婚して新しい母親が来ました。腹違いの弟も生まれ、家庭には自分の居場所がなくて。中学に入った直後、ちょっとした乱暴を働き教護施設に入れられたのです。そして中学2年生の時、飯塚さんと同じ病院に連れていかれました。『男なのになぜ産婦人科?』と思いましたね」
教護施設に戻ると、先輩が「俺もやられたが、もう子どもは作れないぞ」と。初めてどういう手術だったかがわかった。一生結婚しないつもりでいた北さん。しかし、どうしてもと相手に請われ、28歳の時結婚した。
4歳下の妻は愛情深く、子ども好きな女性。子どもがほしいと願う妻に、不妊手術を受けたことを告げられず、「小さい頃おたふく風邪にかかって高熱が出たからだ」とごまかすしかなかった。「妻は、親から孫がほしいと言われ、周囲に『なぜ子どもができないんだ』と言われていました。近所の子どもを抱っこして嬉しそうにあやしている姿を見て、俺もつらくて。何度も告白しようと思いましたが、どうしてもできなかった」
その妻も5年前に亡くなった。末期で意識が混濁するなか、北さんは妻の耳元で真実を告げたという。妻の返答は、「私がいなくても、ちゃんとご飯を食べなきゃだめよ」。「許してくれたのかわかりません。本当にすまなかったと思いました」
北さんが裁判の原告になろうと思ったのは、18年1月の提訴の記事を新聞で読んだことがきっかけだ。
「俺もそうだったのか!と。ずっと手術は、親がやらせたと思っていたんです。でも国が進めていたと知って、怒りが湧いてきました」
原告に加わり、裁判に向けて優生手術台帳の開示を宮城県に求めたが、記録はなしとの回答。ただ、3歳年上の姉が祖母から手術について聞いていた。姉の陳述書と手術痕の診断書を証拠として提出したという。
「国には事実を認めて謝罪してほしい。“解決したよ”と早く妻の墓前に報告したいです」