テレビの力は大きい
そのうち、銀座でスカウトされて銀座界隈ではどんどん売れっ子になっていきました。「謙ちゃん謙ちゃん」とたくさんの方にかわいがっていただいたし、何よりも好きな歌を歌っていられる。お金もそこそこいただけるようになって、もうこれでいいのかなと思ったりしたこともあります。
いつのまにか上京から6年がたっていました。日本の景気はますますよくなっていましたね。20代前半の遊び盛りですから、友だちと横浜に行ったり、よく遊んでいましたよ。
でもなんとなく満たされてはいなかった…。このままでいいのかなという気はずっとしていたんですね。たぶん僕の夢は、クラブで歌うことじゃなくて、レコードをヒットさせて流行歌手になることだったんでしょうね…。
あるとき同郷のプロデューサーからテレビ番組の『全日本歌謡選手権』の予選が僕の出身地の福井であるから、出てみないか?と声をかけられました。
1970年から放送が始まった『全日本歌謡選手権』というのは、プロもアマチュアも入り混じった歌合戦形式のオーディション番組。視聴率も高い人気番組でした。
でもすでにプロだった僕は弾き語りでそこそこの収入も得ていた。「ここに出たら恥ずかしい結果は残せない」という気持ちが強すぎて、なかなか決心がつかず、そのときはお断りしたんです。
それからテレビで毎週のように『全日本歌謡選手権』を見るようになったんですね。毎週見ていると、「ああ、僕はヒット曲を出す歌手になりたかったんだよなあ」と福井で夢見ていたころのことを思い起こすようになりました。
まだ22歳。ここで終わるわけにはいかないなと…。
そしてついに、それまでお世話になっていた銀座のクラブの弾き語りの仕事をすべてやめ、退路を断って番組に挑戦することにしました。
ミノルフォン専属のプロ歌手「三谷謙」として『全日本歌謡選手権』に出場して、5週、6週と勝ち進んでいくと、街を歩いているときに「あ、三谷謙だ」と声をかけられるようになりました。つくづくテレビの力は大きいと思いましたね。