一つツラい思いをして、一つ大事なものを得る
そういえば。
こんなことを、翔大が大阪に出る前に、まるで台本のようにワタシの中では思い描いていた。きっとそんなことが起きるだろうな、起きなければいいんだけど…そして本当にその通りなことが起きたのだ。
むかし赤ん坊の泣き方ひとつで母親にだけわかった、お腹すいたおむつが濡れた…あの感覚にちょっと似ている気がする。母の勘は当たるのだ。えへん。当たるのだ。
十分洗い替えを用意していたつもりでも、全く洗濯が追いついていなかった。学生会館に野球部の高校生のための専用洗濯機はないので、学生の数に対して台数は少ない。だが、帰宅後にコインランドリーに張り付いていられるほどの余裕はない。
余裕。そんなものいつになったら感じられるようになるのか見当もつかないくらい、疲れ切っていたのかもしれない。野球を休ませてまで自宅で休んで来いと言われるほど、翔大は心身ともにヨレヨレだったんだと思う。入学してから1ヵ月半くらいのことだ。
この日の出来事から、翔大はさらに洗い替えを買い増しして洗濯に神経を使うようになった。そんなことひとつで練習を1日休まなければならなかったのも、翔大にとっては悔しかったと思う。
何かひとつ痛いツラい思いをして、一つ大事なものを得る。この頃の翔大の生活は、毎日この繰り返し。でも考えてみたら、そこで得るものが多いのはとても幸せなことではないか。この点では、翔大が大阪に行ったことは十分意味があったと思う。
痛い思いをしてなお、いつ去るとも知れない痛みを抱え続けること。
中学の時から不安だった腰の状態が上向かず、
周りの高いレベルの練習についていこうとすればするほど負担がかかっていく。
大事に至る前に安静にしながら練習方法を模索する日々が続いて、なかなか着実な前進を感じることもできない。
正直翔大にとっては、実際の腰の痛みより苦しくて辛いことに違いないのだ。