鳥の魔法にかかった者たちの底知れない地下経済
ダーウィンと同時期に進化論を考案したことでも知られる博物学者のA・R・ウォレスは、19世紀半ばに渡航したマレー諸島から膨大な生物種の標本を英国に持ち帰った。
そのコレクションはロンドン北部のトリングという町にある、ロスチャイルド家の私設博物館に収められた。やがてそこは大英自然史博物館の分館となる。ウォレスが熱帯地方から持ち帰った大量の生物標本は、後世の研究に役立てられるのをここで静かに待っていた。
2009年6月、この分館に奇妙な窃盗犯が侵入する。貴重で高価な書籍や標本には目もくれず、綺麗な羽をもつ鳥の標本ばかりが大量に盗まれたのだ。そのなかにはウォレスがマレー諸島で捕獲した、希少種のフウチョウなどが含まれていた。
特定の種類の鳥の死骸だけを大量に盗む犯人の動機はいったい何か? ミステリー小説さながらの不可解な導入部から、本書は読者の心を鷲摑みにしてやまない。やがて窃盗犯は王立音楽院で学ぶフルート奏者のアメリカ人青年だと判明する。彼はその羽毛でつくるフライ(毛針)が究極の美を体現することを夢見ていた。だがその背景には、彼と同様に「鳥の魔法」にかかった者たちの底知れない地下経済が広がっていたのだ。
鳥の羽毛をめぐる地下経済とサブカルチャーの実態を暴きつつ、著者は一つの倫理的な問いを読者に突きつける。鳥の標本は「現在における美」(こちらは金銭とも結びつく)と「後世の知のためのアーカイブ」(こちらは無駄な投資に終わるかもしれない)のいずれに生かされるべきか、という問いだ。「鳥の魔法」に憑かれた者の多くは前者と答えるが、著者の答えは後者だ。私も同感である。
著◎カーク・ウォレス・ジョンソン
訳◎矢野真千子
化学同人 2800円