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2024年2月11日、国内における老舗レコード会社「テイチク」(株式会社テイチクエンタテインメント)が、創立90周年を迎えた。創業以来、流行歌から歌謡曲、演歌の時代へと老舗メーカーとして音楽ファンに愛された「テイチク」。2020年の朝ドラ『エール』では、老舗レコード会社「テイコクレコード」として登場した。当時、年始に開催されていた「テイチクヒットパーティ」は、さまざまなアーティストが参加し、彼らを讃えてヒット賞が贈呈された。テイチク90年の歴史のなかで、今回はその中でも1981(昭和56)年を、オトナの歌謡曲プロデューサー・佐藤利明が写真とともに振り返る
戦後のテイチク黄金時代
奈良県奈良市に本社工場が建てられ、録音スタジオを現在の兵庫県川西市花屋敷において、1934年帝国蓄音器株式会社が設立された。当時は外資系のレコード会社が主流だった時代、純粋な国産メーカーとしてスタートした。
創業時には古賀政男が専属作曲家として数々の名曲を生み出し、藤山一郎が歌った『東京ラプソディ』(1936年)は、P.C.L.(東宝の前身)で、藤山主演で映画化されて大ヒット。戦前のシティソングの時代を拓いた。
そして、古賀政男の推薦で契約した立教大学出身のジャズ・シンガー、ディック・ミネが『ダイナ』を大ヒットさせた。その後、ディック・ミネは流行歌手として『人生の並木路』(1937年)などを歌ってテイチク黄金時代を築いた。
戦後は田端義夫が『ズンドコ節(街の伊達男)』『かえり船』をヒットさせた。1937(昭和12)年から85年間テイチクに所属している大ベテラン菅原都々子が、1955(昭和30)年に『月がとっても青いから』をビッグヒットさせた。
1956(昭和31)年には日活でデビューしたばかりの石原裕次郎が『狂った果実/想い出』でレコードデビューを果たした。続いて1957(昭和32)年、三波春夫が『メノコ船頭さん』でデビュー。戦後のテイチク黄金時代を牽引していった。
創業以来、流行歌から歌謡曲、演歌の時代へと老舗メーカーとして音楽ファンに愛され、川中美幸、天童よしみ、石川さゆり、BEGINらをはじめ、数々のアーティストたちがそれぞれ「音楽の時代」を作り続け、2000年に入ってからも祖父の孫への想いを歌った大泉逸郎の『孫』や、NHK紅白歌合戦の歌唱後に、国民的大ヒットとなった秋川雅史の『千の風になって』、漫談家のCDとして記録破りのビッグヒットとなった綾小路きみまろなどが100万枚を超えるセールスを記録しヒットの歴史を刻んできている。