体重を気にするのをやめた
今回のテーマは、「『しない』と決めると、人生はラクになる」だと聞いた。私も「やらない」ことに関しては、『やらない理由』というエッセイ本を出したほどだ。
そんな私も35歳、「アラサー」などと名乗ったら、29歳ぐらいの人に棍棒で殴られる年になった。『婦人公論』読者諸姉を前に言うのもなんだが、確かに20代のころに比べて「やらないこと」が増えてきたし、それによって今の方が「ラクだ」と断言できる。
まず体重を気にするのをやめた。
太っていいやと思っているわけではないが、そのために運動や、まして食事制限などする気はない。かといって「飲むだけで痩せる」というようなダイエット商品を買ったりもしない。
つまり体形維持に関しては、「何もせずに金もかけずに痩せるというなら痩せてやらなくもない」というスタンスにチェンジしたのだ。
もちろんこの方法だと、食ったら食っただけ太るのだが、もしこれで痩せたら深刻な病気を患っている可能性がある。つまり、そうならないということは「健康」ということだ。「健康」というのは年をとると「痩身」なんかよりよほど重要なことである。つまりダイエット法というよりは、「健康法」といってよいかもしれない。
もちろん、太ったことによる弊害はある。まず最初にやってくるのは衣服の問題だろう。そこで、「着られない服を買うのをやめた」。
当たり前のことを言っているようだが、若いころというのは、「ギリギリ着られる服」、ヒドイ時には「今は無理でも頑張れば着られる服」というワケのわからぬ服を買ってしまったりするものなのだ。そういう服は、一度も頑張らぬまま、リサイクルショップ行きになるのだ。
だから今は「身体の一部分も頑張らず着られる服」しか買わない。ウエストがゴムじゃないだけで「審議」に入るほどだ。当然、「頑張れば着られる服」などは買わない。今着られる服、なんなら試着したままレジに赴き、直帰できるぐらいカジュアルなものがいい。むしろ「今後多少太っても着られる」という未来を見越すようになった。