大神いずみさんは、元読売巨人軍の元木大介さんの妻であり、2人の球児の母でもある。2人の球児の母として伴走する大神さんが日々の思いを綴る
「野球をやりたい」と言い出した
長男・翔大は日々サッカー少年として「オフサイドくん」と呼ばれながら練習に明け暮れていた。そんな時期。ある日のこと。
不思議なことに、翔大が突如「野球をやりたい」と言い出した。
その時のことを友人は、
「少し野球から遠ざかっていた大介をまた全力で野球に戻すために、ご先祖様方は息子の翔大に野球を始めさせたのだ」と言った。
おかげで大介は久々に野球のグラウンドに足を運ぶようになり、野球を子どもに教えることでふたたび野球が生活の一部になっていった。
夫が選手を引退した後、ふたたび解説の仕事以外でグラウンドに向かうようになったのは、たしかに翔大が野球を始めた時からだ。

「オフサイドくん」と呼ばれていたころの翔大
野球の道を息子に授けたように見えて、実は親の方が息子に「ありがとう」だったのだ!(友人曰くだが)
わー、ありがとう息子!
真新しい子ども用練習着とピカピカのグローブにバットを携えた翔大と、うれしそうにグラウンドに連れていく夫が迎えた最初の朝を、わたしはよく覚えている。
あの日からほどなくして、父は土日ごとに「鬼」になり、翔大は泣きながら父の指導にくらいついた。あっという間に野球に夢中になり、「プロ野球選手になりたい」と目を輝かせるようになった。
母の日のホームランに私は生まれて初めて天高く拳を突き上げた。
訳がわからず兄と一緒に連れて行かれるグラウンドの隅っこで、瑛介は虫やザリガニを獲りながら、当たり前のようにだんだん野球のボールを追っかけるようになり、そして今日に至っている。